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『スプリングスティーン 孤独のハイウェイ』ジェレミー・アレン・ホワイト 本人の惜しみない協力でカリスマの若い時代を全霊で体現【Actor’s Interview Vol.50】
「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」を歌った後は4日間、声が出なくなった
Q:ブルースとの一体感をおぼえた瞬間はありましたか?
ホワイト:はい。アルバム「ネブラスカ」の中の何曲かを、ナッシュビルのRCAスタジオでレコーディングした時です。密閉空間で一人になり、自分が書いたわけではない歌詞を身体に取り込もうとしながら、それまでとは違うブルースへの親近感をおぼえました。
Q:自身の声でレコーディングするうえで、最も苦心した曲はどれですか?
ホワイト:「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」ですね。撮影開始の1週間前にレコーディングしたのですが、その日のことは今も鮮明に覚えています。あの曲は“歌う”というより、叫ばなければいけません。音楽スーパーバイザーの指導で2時間かけてレコーディングした結果、それから4日間は声が出なくなってしまいました。そんな風に習得したブルースのしゃがれ声は自分でも気に入って、撮影が終わる頃は、朝目覚めると何度も枕に向かって絶叫し、しゃがれ声をキープしたんです(笑)。

『スプリングスティーン 孤独のハイウェイ』©2025 20th Century Studios. All Rights Reserved.
Q:スプリングスティーン本人に会ったのは、どの段階だったのでしょう。
ホワイト:初めて会ったのは、撮影に入る前のブルースのヨーロッパツアーでした。ロンドンのウェンブリー・スタジアムで彼とバンドのサウンドチェックを見学したんです。そうしたら僕を見つけたブルースが、ステージに上がるように誘ってくれたので、そこで約20分、その後も楽屋でかなり深い話をしたのを覚えています。ブルースはとにかく寛大で、僕のどんな質問にも誠実に答えてくれました。
Q:そこから役作りのアドバイスが続いたのですね。
ホワイト:撮影期間中もずっとメールのやりとりをしましたし、僕の歌声を聴いてフィードバックもしてくれました。ブルースは今でもニュージャージー州に自宅があり、僕もそこにお邪魔してパティ(スプリングスティーンの妻)と一緒にディナーを共にしながら、やはりいろいろと質問をぶつけましたね。
Q:その他にスプリングスティーンの特別な協力にはどんなものがありましたか?
ホワイト:1980年頃のインタビューの音源で当時のブルースのアクセントなどを学んでいたのですが、それだけでは物足りなかったので、彼に相談したら、映画の中のいくつかのシーンのセリフを朗読してくれました。僕は毎日、その朗読の録音を聴き、シチュエーションによってどう話し方が変わるかを理解していったんです。ちなみにその朗読は、ブルースの自宅のスタジオで行ったんですよ。