私たちは「ストーリーテリング」を生きている
Q:香港在住の際は日本の漫画やアニメやカンフーを見て育ったそうですが、それらが作品に出てきている部分もありますか。
リー:私は北京で生まれて10年過ごし、その後10歳から20歳までの多感な時期を香港で過ごしました。当時の香港はまだイギリスの植民地だったので、中国文化とイギリス文化の両方から異なる影響を受けました。その後ロサンゼルスに移り、アメリカ文化に晒されました。これらの異なる文化の影響が、私の体にそれぞれ異なる刻印(スタンプ)を残しているのだと感じます。コミュニケーションをとる際も、ある時は北京の影響、ある時は香港の影響、そして多くの場合アメリカ人としての自分が顔を出します。それが私をユニークな存在にしています。私が語る物語には、これら異なる文化の影響や、私自身の人生の中で経験した様々な瞬間が組み込まれているのです。
北京や香港で親と暮らしていた頃は、中国文化が私のアイデンティティの多くを形作っていました。しかしアメリカに移ってからは一人だったので、親の介在なしにアメリカ文化の影響をダイレクトに受けました。自分の中に中国的なアイデンティティとアメリカ的なアイデンティティがあり、それらが対話をしています。最終的には両方の世界の融合であり、それが私の芸術的プロセスやデザインスタイルを、ハリウッドの他の作品とは大きく異なるものにしているのです

Q:30代後半にキャリアチェンジを図ったことに驚きつつも感動しました。当時、不安や恐れはありませんでしたか。
リー:当時は何が起ころうとしているのか予想もしていませんでした。もし自分のためだけだったら、そんなリスクを冒すのは怖かったでしょう。38歳でのキャリアチェンジはリスクが大きすぎますから。しかし、突然父親になったことで、自分でも予想だにしなかった勇気が湧いてきました。もう自分は「息子」ではなく、誰かのための「父親」であり、ケアテイカーになった。自分の持てるすべてを捧げて、守るべきもののために立ちはだからなければなりませんでした。その瞬間、恐怖は消え去りました。すべては自分の背後にいる守るべき人たちのためだったからです。その時は気づきませんでしたが、振り返ってみると、恐怖は取るに足らないほど小さなものになっていました。
自分の人生の最初の38年間、私は「息子」としての物語を生きていました。しかし38歳から、新しいチャプターとして「父親」というキャラクターが登場した。彼は守護者でなければなりません。突然、違う脚本を手にしたような気分でした。そうやって、自分に違う「役割」を与えれば、人生は変わり始めます。新しいキャラクターとして生き、呼吸し、行動するようになるからです。「ストーリーテリング」は、私が作るものの中にあるだけでなく、私たちはその経験を今まさに生きているのです。
父親としての役割を始めた一方で、個人的には「息子」としての自分の物語を書き換え始めました。以前の私は常に「お前は至っていない」「才能がない」「危ないからやめておけ」と言われてきました。でも父親になり、息子をより良く育てようとする中で、「どうすればより良い父親になれるか?」「息子にどんなメッセージを伝えるべきか?」を自分に問い続けました。その過程で、自分自身のメッセージに耳を傾け、自分の物語を再構築し始めたんです。文字通り、人生が変わり始めたと感じました。