1. CINEMORE(シネモア)
  2. NEWS/特集
  3. 子どもが初めて出会う知らない世界ー『アラバマ物語』【川原瑞丸のCINEMONOLOGUE Vol.73】
子どもが初めて出会う知らない世界ー『アラバマ物語』【川原瑞丸のCINEMONOLOGUE Vol.73】

子どもが初めて出会う知らない世界ー『アラバマ物語』【川原瑞丸のCINEMONOLOGUE Vol.73】

PAGES


知らなかった父の顔と町の姿





 原作での描写も合わせると、スカウトの目に映る父アティカスの姿は温和で優しいながらもややくたびれた印象だ。周りの子どもたちの父親に比べると歳を取って見え、身体的な強さも感じられない。それゆえ人柄も退屈に感じられ、スカウトにはそれが不満だ。子どもにとってわかりやすい強さが見えないので、慕ってはいるものの頼りないと感じているのだ(映画ではグレゴリー・ペックなので若干その雰囲気は減じているが……)。


 しかし、ある日唐突に起こった出来事でスカウトの印象になにかが打ち込まれる。フィンチ家の近所に狂犬病の犬が現れて騒然となるが、保安官はアティカスにライフルを渡してその駆除を頼むのだ。当然子どもたちには事情がわからない。保安官だって銃が扱えるにも関わらず、住宅が集まる通りで、予想のつかない動きをする犬を手早く仕留めなければならないという状況に、この老いて弱そうな父親が適任だというのだ。当のアティカスは気乗りしない様子で躊躇いながらもライフルを手にする。向こうの方にぴょんぴょん跳ねる犬が見える(昔の訓練された動物の演技には驚くばかりだ)。アティカスはライフルを構え、慎重に狙いを定めると、本当に一発で犬を仕留めてしまう。彼はかつて「ワン・ショット・フィンチ」と呼ばれるほどの射撃の名手だったのである。去年、住宅密集地で熊を撃つのがいかに難しいかを連日のニュースで知ったあとでは、より衝撃的なシーンでもある。


 スカウトはこれほど身近な父親の、意外すぎる一面を知って衝撃を受ける。どうして父はこれほどの射撃の腕を誇らず黙っていたのか不思議でならない。しかし、アティカスは子どもたちの前でその腕前を披露しなければならなかったことを恥じてさえいる様子だ。彼が只者ではないことが明らかになるものの、子どもにとってもわかりやすいその「強さ」は決して彼の本質ではないことも同時に示される。このシーンは、原作と映画の双方において「強さ」の意味を静かに定義し直す象徴的な瞬間だ。


 やがて裁判が目前に迫り、被告の青年トム・ロビンソンが留置所から裁判所に移されてくる。トムの身の安全を考えたアティカスは裁判所の前に陣取って夜通し見張ろうとするが、案の定地元の男たち(もちろん皆白人)がどやどやと押しかけてきて、トムへのリンチを仄めかしてアティカスに迫る。ここでこっそり家を抜け出してきたスカウトが人々と父親との間に飛び込み、暴徒になりかけた人々に呼びかけるシーンは名場面とされる。と言っても、別に大勢に対して立派な演説をするわけではない。状況を正しく理解していない彼女はただ、怒れる人々の中に同級生カニンガムの父親の顔を見つけ、無邪気にも彼に話しかけただけだ。


 貧しい農家であるウォルター・カニンガムは、以前アティカスに法的な問題で助けてもらったことがあり、現金での支払いができないので農作物を弁護料として差し出し、アティカスも対等な態度でそれを受け取っていたのだ(映画の冒頭はこのカニンガムがフィンチ家を訪ねるシーンから始まる)。スカウトとカニンガムの日常的な会話が始まったことで、暴徒になりかけていた人々は次第に冷めていき、その場を引き上げていく。アティカスの説得ではなく、スカウトの何気ない呼びかけによって人々の理性が取り戻された形だが、それは同時に、善良に見える人々でさえ、容易に暴徒へと傾いてしまうことをも示している。





PAGES

この記事をシェア

メールマガジン登録
  1. CINEMORE(シネモア)
  2. NEWS/特集
  3. 子どもが初めて出会う知らない世界ー『アラバマ物語』【川原瑞丸のCINEMONOLOGUE Vol.73】