知らなかった隣人の顔

いざ始まった裁判では、原告メイエラの証言に明らかな不自然さが露呈し、アティカスは冷静な指摘で事実の輪郭を浮かび上がらせていく。トムにはメイエラの主張するような暴力を振るうのが難しい決定的な理由があっただけでなく、メイエラの父ボブにとって不利な点も明らかになるのだ。メイエラが地域で孤立した貧しい家庭からの脱出を望みながらも父に怯えており、トムへの容疑は父娘による狂言ではないかということがだんだんと伺えてくる。傍聴していたスカウトの目にも明らかな矛盾は、彼女にトムの無罪を確信させるが、論理よりも制度化された人種的扱いの方が優先されてしまう不合理を、彼女はまだ知らなかった。前の晩に彼女の呼びかけだけで理性を見せたはずの町は、翌日には暴徒よりも理知的であるはずの陪審という姿をとりながら、全く違う結論を下すのだった。
トムの裁判とその顛末にスカウトはショックを受けるが、問題はその後だった。学校での催しの帰り道、地元の名産品であるハムの仮装をしたまま、スカウトは兄とともに夜道を歩くことになる。この滑稽なハムの着ぐるみこそ本作最大の癒しだろう。裁判に向かって張り詰めていった空気がほどけたあとに、ささやかな息抜きを与えてくれる。しかし、兄妹は何者かに襲われる。視界の限られた着ぐるみの中で、スカウトには何が起きているのかすぐにはわからない。気づいたときには兄が倒れていたが、どこからか現れたもうひとりの人影が襲撃者を阻んでいた。
兄妹を襲ったのは、もちろんアティカスを逆恨みしたボブ・ユーエルだった。彼は裁判のあとでアティカスに対して報復を仄めかしていたから、十分予想できることだ。しかし、スカウトを驚かせたのは自分たちを救った人物の方だった。驚いたことに、それはあの謎の隣人、ブー・ラドリーだったのだ。ここでようやくロバート・デュヴァルが登場するが、これが彼の映画デビューの瞬間である。子どもたちの想像の中でほとんど怪物と化していたブーは、実際には繊細そうでどこかに無垢さを残した男だった。十分に大人に見えるが、内面は父親によって家に閉じ込められた時点のままといったような感じだ。無口で振る舞いにぎこちなさがあるのは、長く外界と切り離されていたからだろう。
それは彼の正体を知ったというよりは、見え方が変わったというほうが正しい。ブーは前からそこにいて、家の周りで子どもたちが遊んでいるのをずっと見てきた。家の前の木の穴に、子どもたちへの不思議な贈り物を置いていたのも彼であった。自宅を巡る肝試しも、彼には楽しそうに見えていたのかもしれない。様々な噂により想像が膨らむばかりだったが、スカウトはブーの姿を正しく見る視点を持つに至った。ブーへの個人的な誤解は解かれた一方で、制度に組み込まれた偏見によって追い詰められてしまったトムの絶望や、個人の力では決して覆らない当時の現実を忘れることはできないが、それはまだスカウトの視界には収まらず、彼女の理解が追いつかない領域である。
知らなかった父親の意外な一面、父の聡明さとともに見えてくる大人たちの世界の不合理、そして恐れるばかりで正しく知ることのなかった隣人の素顔。スカウトの前には、それまで知らなかった断片が次々と並べられていく。彼女は幼い歯でそれを咀嚼していくしかないが、すぐに全てを理解する必要はない。この子ども時代の冒険で彼女が手に入れたのは、答えではなく、ものごとの見方そのものだったのではないか。それは同時に、なにも知らなかった無邪気な頃にはもう戻れないということでもある。そのほろ苦さが、静かな温かさとわずかな救いの合間に感じられることで、この物語を忘れがたいものにしている。
イラスト・文:川原瑞丸
1991年生まれ。イラストレーター。雑誌や書籍の装画・挿絵、絵本など。映画のイラストレビュー等も多数制作中。