1. CINEMORE(シネモア)
  2. NEWS/特集
  3. 第1話に全てあり ジョン・ファヴローの『ヤング・シェルドン』第1話【川原瑞丸のCINEMONOLOGUE Vol.74】
第1話に全てあり ジョン・ファヴローの『ヤング・シェルドン』第1話【川原瑞丸のCINEMONOLOGUE Vol.74】

第1話に全てあり ジョン・ファヴローの『ヤング・シェルドン』第1話【川原瑞丸のCINEMONOLOGUE Vol.74】

PAGES


クーパー家、それぞれのシェルドンとの関係





 本作は単に天才児シェルドンだけにフォーカスしているわけではない。第1話の時点でクーパー家の面々はすでに生き生きとしており、天才児に困惑するだけの平凡な家族という枠には決しておさまらない。


 シェルドンの家族については『ビッグバン★セオリー』本編でも度々言及され、故人となっている父ジョージ以外は全員直接登場している。特に母メアリーはシェルドンと友人レナードのアパートに頻繁に現れては物語を動かすことが多い。科学を絶対視する理論物理学者の息子とは対照的に敬虔なキリスト教信徒であることから、本来なら絶対に相入れないはずなのだが、厳しく躾けられたシェルドンは大人になってからも母親には全く歯が立たない。シェルドン節による信仰への「難癖」がメアリーによってことごとく一蹴され、そのたびに彼女が「罪深い息子」のためを思って祈るという流れが鉄板になっている。


 『ヤング・シェルドン』でのメアリーは、そんな怖いものがなくなった高年の彼女に比べればまだまだ子どもたちのことが心配でならない不安げな母親だ。特に頭の良すぎるシェルドンのことが気がかりでならず、『ビッグバン~』でたびたび描かれる科学頭の息子と敬虔な信仰を持つ彼女とのズレは、単なるギャグから母子の関係を語る上で重要な側面としてディテールが掘り下げられている。1980年代末、親世代にとって未知のテクノロジーや娯楽、価値観が急速に広がっていく一方、保守的なキリスト教社会にはそうした新しい文化への警戒感もまた根強かっただろう。科学を愛し、のちにコミック文化にも夢中になっていくシェルドンを前にしたメアリーの戸惑いは、そうした時代の空気とも無縁ではなく、その不安は決して特殊なものではなかった(もっともメアリーの中にそのような不安が見えてくるのはもっとあとのエピソードでのことだが)。


 しかし、メアリーは教義を振りかざして息子を矯正しようとする人物ではない。彼女の中には敬虔な心と同じくらい息子のことを想う気持ちがある。息子の科学への探求を禁じたり、親への論理的な反論を許さないという強権的態度に出ることはいくらでもできたはずだが、そうはしないのだ。それどころか彼女は教会で他の信徒に息子を「その子おかしいんじゃないの?」と奇異な目で見られた際、「息子はおかしくなんかない、前を向いていないと殴るわよ」と大胆に言い返しさえする。シェルドンの方でも「(神様は信じていないが)ママのことを信じてる」という印象的なセリフを口にする。まさにこれらのセリフがこの親子関係を端的に表してると思う。ふたりには互いに相反する信条があるにも関わらず、互いを愛し認めているのだ。メアリーとシェルドンの関係にはクーパー家の関係そのものが凝縮されているところもある。


 ちなみにこの眉間に皺がよって常になにかを心配しているようなメアリーだが、演じるゾーイ・ペリーは『ビッグバン~』でメアリーを演じたローリー・メトカーフの実の娘というのがおもしろいところ。もちろんそのような裏話を知らなくても、ペリーの演技は第1話だけでも本当に素晴らしいが、視聴者は擬似的にも本当に若い頃のメアリーを観ているとも言え、その板についたキャラクターが腑に落ちるというものだ。


 メアリーと同じくシェルドンを想いながらも、そのアプローチが対照的なのが父ジョージだ。『ビッグバン~』からの視聴者はここで初めて彼に出会うことになる。恰幅のいい体型で高校のフットボール部コーチ、一見ガサツな振る舞いが目立ち、家では常にビール瓶を手に持っているというある種のステレオタイプではあるが、実は温厚かつ重みのある人物で、第1話ではメアリーと同じくらい比重が置かれている。


 高校初日にシェルドンは、他の生徒や教師たちの「些細な」校則違反を細かく指摘して大反発を招き、さっそく両親が校長室に呼ばれる。帰宅したジョージは、他人にケチをつけるなとシェルドンに語り、自分が前にコーチとして勤めていた高校をクビになった理由を聞かせた。彼はそこで、規則違反である他校の選手をスカウトするという不正を行っていた同僚を告発したが、逆に職を追われるという不公平な扱いを受け、結果クーパー家はテキサス東部に引っ越さざるを得なくなったのである。ジョージとしては規則を重んじて正直であることは、自分のためにならないこともあると伝えたかったのだろうが、息子が指摘した通り罰を受けるべきは違反者の方であり、ジョージ自身も自分が全く納得していないことを痛感する。そしてなにより、シェルドンはそれまで自分とは全く異なるタイプだと思っていた父の中に、ルールを重んじる自分と似た部分を発見するのだった。


 両親がそのようにシェルドンにかかりきりなこともあり、兄ジョージーと双子の妹ミッシーの中にも複雑な心境があるのは明らかだ。特にジョージーは高校入学を幼い弟と共有することになったのだからおもしろくないだろう。彼は順当に進学したにも関わらず、弟の飛び級により周囲から「不出来な兄」という烙印さえ押されてしまう。ジョージーにとってはフットボール部のコーチでもある父は、その関係を通して子どもたちの中でいちばん距離が近いはずだが、長男をどのように宥めていいかわからないでいる。ミッシーもまた双子でありながら常にシェルドンが優先されていく日々に不満を抱えているが、それは単純な嫉妬というより寂しさに近いものがあるのではないか。シェルドンの飛び級によりクラスから彼がいなくなったことを喜んではいるが、片割れがどんどん先に行くことにどんな気持ちがあるか、本当のところはまだわからない。母親をはじめ家族がシェルドンにエネルギーを向けがちな中で、彼女はすでに皮肉屋で手のかからない子という位置にいるのは確かだ。両親とシェルドンの関係性は基本的なところが示されるが、兄妹との関係は、この先いかようにも変わっていくだろうと想像できる。


 ちなみに祖母コンスタンスの存在もこれからの物語において欠かせないものとなるが、第1話にはまだ登場しないのでここでは割愛する。実はアニー・ポッツが演じる「ばあば」がいちばん強烈でおもしろいキャラクターではあるのだが。




PAGES

この記事をシェア

メールマガジン登録
  1. CINEMORE(シネモア)
  2. NEWS/特集
  3. 第1話に全てあり ジョン・ファヴローの『ヤング・シェルドン』第1話【川原瑞丸のCINEMONOLOGUE Vol.74】