キャラクター全員に自分の要素が入っている
Q:その西島さんと満島さんは監督たってのキャスティングだったと。
中島:素晴らしかったです。西島さんは、パッと見てすぐに感情が伝わる人ではない気がしたんです。“奥”はある人だけど感情が顔に出ない。そこが佐竹という人物と全く一緒なんです。佐竹は最初、どういう人間なのかよく分からないのですが、彼の過去が明かされたり、満島さん演じる真逆のキャラクターとぶつかり合う中で、だんだんと人間味が出てくる。そうした役においては、感情が表に出やすい俳優さんよりも、むしろ西島さんの方が良かったと思います。ヘビーな役だったと思いますが、ちゃんと演じてくれました。
Q:西島さんと満島さんが対峙する場面が結構ありますが、ふたりが対峙して反射し合うものは、その場で生まれたのでしょうか。
中島:そうですね。言い争ったりするような対峙する関係があるからこそ、佐竹はだんだんと自分の殻を破れるようになっていく。聡子も、自分の子供との関係など過去を抱えていますが、捜査を通じて新と明野を見つめる中で、自分の考えを発展させるきっかけになった。登場人物みんなが、新を見ていることで変わったのだと思います。でもそれが「ちょっとだけ」っていう(笑)。だから相変わらず、佐竹のアルコール依存症が治るわけでもなく(笑)。ただどこかで、「(自分の)家庭のことも解決しないといけないな」という思いに、佐竹もなっているのではないかと。それくらいで映画が終わればいいと思っていました。

『時には懺悔を』©2026 映画「時には懺悔を」製作委員会
Q:片岡鶴太郎さん演じる舟尾と佐竹が打ち合わせをする際、舟尾は孫の面倒を見ています。原作にはない短いシーンですが、強い印象があり大きなアクセントになっているようでした。あのシーンに込めた思いを教えてください。
中島:探偵と言えども家族はちゃんとあるってことですね。鶴太郎さんは少し胡散臭い探偵に見えるのですが(笑)。それでもちゃんと家族がいて、ああいう孫もいる。その一方で、彼は佐竹に対して「(黒木華さん演じる)母親は、実は新をちっとも愛していなかったんじゃないか」という非常に残酷な報告をしますよね。そういった残酷なことを言いながらも、目の前で泣いている自分の孫をチラッと見たりする。そうした環境の中に佐竹を置くことで、彼の心にも変化が生まれるだろうなと。
Q:監督は「主人公である佐竹同様、極度のヘソ曲がりの私ですが、この映画にはかつてなく自分の気持ちが素直に出ている気がします。」とコメントされています。映画監督にとって、登場人物に自身を投影することには大きな意義があるかと思いますが、自身を投影することにはどういう思いがあるのか、それとも自然にそうなってしまうのか、いかがでしょうか。
中島:自然とそうなってしまいますね。原作を選ぶ時に、「この人間、面白いな」「もっと深掘りしてみたい」と感じて映画化を希望することが多いんです。そして作っていくうちに、「俺の中のこの部分が登場人物と共通しているから、面白いと思ったんだな」と気づくわけです。それは今回の佐竹に限ったことではありません。
佐竹の中の欠点、例えば「はっきりと自分をさらけ出せない」「現実から目を背けて逃げようとする」といった部分は、私自身にもたくさんあります。ただ、そういう共通点があるからこそ演出ができる。「この人間の気持ちが分かる」と思えなければ、役者に「こういう風に喋って」「あっちへ行って」「ここで怒って」なんて言えません。だから多分、映画に登場する主なキャラクター全員に、自分の“ある部分”が入っているんだと思います。