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設定と現実のあいだを生きるおもちゃたちー『スモール・ソルジャーズ』【川原瑞丸のCINEMONOLOGUE Vol.75】

設定と現実のあいだを生きるおもちゃたちー『スモール・ソルジャーズ』【川原瑞丸のCINEMONOLOGUE Vol.75】

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設定に抗い、設定に生きるおもちゃたち





 素行の悪さから退学・転校の常連であり、父親にも信用してもらえないアランが、ゴーゴナイトとの共闘を通じて自信と信頼を得ていく物語は、メインストーリーとして決しておもちゃたちのアクションに埋もれることはない。アランとクリスティの家が隣同士であることもストーリー上重要だが、クリスティの父(演じるフィル・ハートマンは本作公開前に逝去)が家電好きで、庭に衛星放送のアンテナを設置したばかりであることなど、ちょっとした前提が後で役立っていくところなどは非常にスマートな話運びだ。そうした人間側のおもしろさにも文量を割きたいところではあるのだが、どうしてもぼくが焦点を当てたいのは、おもちゃたちの設定とアイデンティティについてだ。


 本作のおもちゃたちの特徴は、自分たちがおもちゃかどうかはあまり問題にせず、それよりもプログラムされた設定に忠実なところだろう。これが『トイ・ストーリー』との最大の違いだと思う。どんな手段を使ってでもゴーゴナイトたちを殲滅しようとするチップ・ハザードは、自分のことを本物のスペースレンジャーであると思い込む初期のバズ・ライトイヤーを、より精鋭化したダークサイド版と言うこともできる。仲間の付属品である銃を役に立たないものとし、破損した仲間の修理もすれば、仲間の頭の中からプロセッサーを取り出しもするが、それらはいずれも設定と矛盾のない形で解釈しているかもしれない。ゴーゴナイトにしても、仲間の修理はできるし、元が学習玩具ゆえか人間との関係に疑問を抱くことはないが、アランのパソコンを通して多くの情報や知識を得ていく中でも、ヨセミテ国立公園の画像を架空の故郷ゴーゴンだと認識したりする。彼らは自分たちが何で出来ているかは知っているが、それでも設定が矛盾なく優先されていく。


 それは人為的にそうプログラムされているからであり、『トイ・ストーリー』のファンタジーに理屈を与えたこの一点が、両作に最大の違いを生んでいる。個人的には『トイ・ストーリー』は意思のあるおもちゃとないものとの境目が少し感覚的だったために、後々どこまでがおもちゃなのか、という疑問がついてまわることになったと感じている。『トイ・ストーリー4』(19)でのフォーキーの衝撃的な誕生はさらにその定義についてこちらを悩ますことになったが、そもそも1作目の時点でもエッチ・ア・スケッチやミスター・スペルといった、キャラクターの形を模していない装置としての玩具がひとりでに動いたりコミュニケーションをとったりしていた。もっとも前者は絵を描くという表現行為ができたし、音声を発することができたのでそこが鍵かもしれない。丹念に分解していけばルールは見えてくるかもしれないが、一作目の時点では感覚的にとらえられたことが、シリーズが増えるにつれてある程度解釈が必要になったのは確かだ。またそのように背景設定を持たないおもちゃが大多数だったアンディの子ども部屋に、はっきりとキャラ設定を持ったバズが異質なものとしてやってくるというのも、最初の『トイ・ストーリー』の肝の部分だったとも思う。


 最終的に、アランの勇気と機転により、優勢だったコマンドー・エリートたちは破壊されるが、彼らには設定を越えた未来が暗示されている。一夜の騒動を知ったマース社長は、問題のマイクロプロセッサーを含めコマンドー・エリートたちをさらに軍事転用するアイデアをちらつかせる。元々軍用だったものがおもちゃに転用され、さらに再び軍用へと戻っていくという皮肉はもちろん、ミニチュアの軍隊がどんな惨事を引き起こしたかを思えば、マースの思いつきはこのラストの余韻に不穏なスパイスを効かせていると言える。


 戦いを生き延びたゴーゴナイトたちは、アランに頼んで故郷ゴーゴンを探す旅に送り出してもらう。アランもゴーゴンなどないことを知っているし、賢いゴーゴナイトたちもいつかはそれを悟るかもしれないが、それでも故郷を探し続けるのではないか。単にそうプログラムされているから、と言うことはできるが、彼らはすでにコマンドー・エリートを恐れ、負けるように設定されたプログラムに抗っている。故郷を探すというのはもはや彼ら自身の選択なのだ。


 キャラクター設定ありきとなった大量生産のおもちゃに一歩引いた視線を投げかけながらも、同時に設定によっておもちゃを救済するという締めくくりは、皮肉だけで終わらない前向きさも感じる。90年代のアメトイは今ではすっかりヴィンテージ扱いで、大胆なデザインや大味なサイズから、パッケージごと洒脱なインテリアと化していることも珍しくない。当時のアクション・フィギュア特有の遊びと造形を突き詰めたその豊かさと存在感、先行する傑作への発想の転換や一種のアンサーとが合わさったことにより、本作は今なお色褪せることがない。



イラスト・文:川原瑞丸

1991年生まれ。イラストレーター。雑誌や書籍の装画・挿絵、絵本など。映画のイラストレビュー等も多数制作中。

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