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オードリー・ヘプバーン 息子が語る彼女の知られざる素顔とメッセージとは?ルカ・ドッティ氏インタビュー

オードリー・ヘプバーン 息子が語る彼女の知られざる素顔とメッセージとは?ルカ・ドッティ氏インタビュー

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彼女には常に優先順位があった



Q : オードリーには長年住み、最終的に終の棲家となるスイスのトロシュナに、"ラ・ペジーブル(平和の家)"と呼んで愛した我が家がありながら、同時にその間、ここローマに住み続けたのはなぜだと思われますか?


ルカ : 父を愛してしまったし、私という子供がいたからです。「私はドッティ夫人としてここにいる」と母は常日頃言っていました。ローマという場所自体に格別の理由はなかったのです。そういう意味で、母は実に自立した女性でした。女優業と家庭を両立させていたわけではありません。母には優先順位があったんです。



 子供を産んだら仕事は二の次にして母親に徹する。私にとって最も光栄だったのは、自分が幼い頃、母は大女優では決してなく、ずっと母のままでいてくれたことです。そんな母を心から尊敬していますし、当初、ユニセフ親善大使の仕事をオファーされた時にも、まだ、私が幼かったから家庭を優先し、活動を始めるのを待っていてくれたんです。つまり、母はいくつものことを同時にはやっていなかったんですよ。


Q : あなたは夏休みを利用して『ロビンとマリアン』(76)のセットにも訪れています。その時のお母さまの印象は違っていましたか?


ルカ : いえ、家にいる時と同じでした。何も演じてないし、声のトーンもいつもと同じでした。そこが、逆に不思議でしたね。友達から「君のママはオードリー・ヘプバーンだよね!?」て聞かれた時も、「いや、ドッティ夫人だよ」って普通に答えていましたし。



ユニセフ親善大使としての母の口から出た衝撃的な言葉



Q : では、お母さまの女優としての偉大さを知ったのはいつですか?


ルカ : 母が亡くなった時ですね。それまではメディアもあまり煩く書き立てることもなかったのですが、亡くなった途端、世界中からの反響があまりにも凄くて、母親を偲びたい気持ちすら、その喧噪に掻き消されたのは、ある種のカルチャーショックでした。


Q : ユニセフ親善大使として精力的に世界を旅するお母さまを、息子として、どのように見ていらっしゃいましたか?


ルカ : 当初訪れたメキシコ、コロンビア、バングラデシュ等は戦時下ではなかったのですが、晩年に足を運んだソマリアやスーダンは紛争地帯でしたし、次第に母に疲れが見え始めました。目の前で子供が亡くなるのを見たこともありましたし。そうしているうちに、母の心の中に見たものがどんどん蓄積して行き、やがて、それが母の心を傷つけ始めたのです。




 ソマリアから戻って来た時、いつもポジティブな母の口から意外な言葉が出ました。「私は地獄を見た」と言ったのですよ。それでも、母は止められなかった。辛かったと思います。母自身が戦争を体験していて、子供たちが亡くなっていくのを見ているから。



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