制限された表情の中に、豊かな感情が宿る
八代監督の作品に共通する人形の造形について、注目すべき点はまだある。それは眉と口の表現だ。
人形アニメの製作でいつも悩ましいのは、顔の表情をいかにして作るか?ということだ。
柔らかいクレイ(粘土)製ならば別だが、硬い素材でできた人形の表情を変えるには、『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』(93)のように、表情違いを何パターンも用意し、頭をまるごと付け替えてしまうか、『パラノーマン ブライス・ホローの謎』(12)のように、顔の表面のみをすげ替えられる構造を作るか、または『ぼくの名前はズッキーニ』(16)のように、眉と口をパーツにして、福笑いのように顔に貼り付けてしまうか…。
どの方法を選択しても、多くの表情を獲得させようとすればするほど必要なパーツの量が増えていき、その煩雑さはアニメーターを苦悩に陥れる。
しかし八代監督の作る人形には置き換えパーツがない。眉は、固定された眉尻を軸にしてわずかに上下するのみ。口はマリオネットのように開閉しかできない。まぶたもよほどの場合でないと使わないため、目の演技は目線の移動のみに限られる。なんと潔い良いことか。
これだけのシンプルな構造ながら、不思議なことに登場人物は実に多彩な表情を見せてくれる。
口角が上がっていないのに笑っているように見え、涙を流さずとも深い悲しみの底にいることが伝わってくるのだ。もちろん、声の演技やアニメートなど総合的な演出の巧みさゆえでもある。だが、顔が変えられない人形だからこそ、観客がそれぞれの心の中で見えない表情を補完している効果もあると筆者は思う。