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アル・パチーノ、ジョン・カザール出演『狼たちの午後』は、なぜこんなにも偉大な映画であり続けるのか?

(c) 2007 Warner Bros. Entertainment Inc. All rights reserved.

アル・パチーノ、ジョン・カザール出演『狼たちの午後』は、なぜこんなにも偉大な映画であり続けるのか?

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なぜ観客はソニーに共感するのか?



 『狼たちの午後』は、エルトン・ジョンの「過ぎし日のアモリーナ」で幕が開ける。『ロケットマン』(19)では新天地アメリカへ向かう場面で使用されていた楽曲だ。この曲に合わせて、映画冒頭では当時のニューヨークの街並みがドキュメンタリー映画のように映し出されてゆく。


 ここで重要なのは、カットが変わるたびに、荒廃した貧相な街並みと整然とした豊かな街並みが交互に映し出され、対比になっている点にある。単純にいうと、金持ちと労働者、という対比である。街並みを映し出すことで、この時代の社会背景を後の時代の観客にも伝えようとしているようにさえ見えるのだ。また、ハイウェイや飛行機の映像が何気なくインサートされ、その後の展開を匂わせる伏線にもなっていることがわかる。


『狼たちの午後』予告


 監督のシドニー・ルメットが「リアリズムとナチュラリズムは別物だ。リアリズムはナチュラリズムに方向性を持たせ、凝縮したものだ」と語っているように、ドキュメンタリー映画のようなオープニングで街の現実を見せることで、観客が劇中の出来事を自然に感じるような演出を実践してみせている。そして、実際に起こった事件を題材にしているからこそ、この映画に限っては、細部を再現し、私的な思考や感情が入らないようルメットは心がけたという。


 本作では、犯罪被害者が犯人と長時間過ごすことによって、心理的なつながりを構築してゆくようになるという「ストックホルム症候群」が描かれていたのも特徴だった。観客もまた「犯罪者」=「悪者」であるはずの犯人・ソニー(アル・パチーノ)に対して徐々に共感してゆくのは、監督の主観を極力排した賜物なのだ。


 ソニーという人物は強盗を企てている犯罪者であるにも関わらず、人質に対して優しい。それゆえ、彼の“事情”が描かれれば描かれるほど、観客は自分自身の境遇と重ね合わせて、人質たちと同様に、彼の行動原理を理解しはじめるのだ。裁判における「情状酌量」のような感情を、映画の中の犯罪者に対して感じはじめ、共感を導いてゆくことは、『ジョーカー』(19)の主人公・アーサー(ホアキン・フェニックス)に共感してゆくメカニズムと似ている。その極みが、「アティカ!アティカ!」と野次馬たちを煽動し、連帯感を生んでゆくソニーの姿を描いた場面。観客もまた、劇中の人質たち同様に、ソニーの“まやかしの正義”に傾倒し、「ストックホルム症候群」へと陥ってゆくからだ。



『狼たちの午後』(c) 2007 Warner Bros. Entertainment Inc. All rights reserved.


 また、ソニーはベトナムに従軍していた帰還兵だと言及されているように、アメリカにとっては英雄として扱われるべき人物だという点も重要だ。しかし現実の彼は、職にあぶれ、低所得層に甘んじている。いわば、社会の邪魔者扱いをされるベトナム帰還兵の姿を描いた『ランボー』(82)で、シルヴェスター・スタローンが演じたジョン・ランボーの境遇とあまり変わらないのだ。ハリウッド映画でベトナム戦争を題材にPTSDが本格的に描けるようになったのは、『帰郷』(78)や『ディア・ハンター』(78)以降のこと。


 加えて、主人公であるソニーが同性愛者だと直接描くことは、当時のハリウッドではタブーのひとつだったが、ハリウッドのスターであるアル・パチーノが同性愛者を演じたという先駆性だけでなく、先んじてベトナム戦争の問題を匂わせた点においても、やはり『狼たちの午後』は偉大なのである。



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