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『ロスト・ハイウェイ』実在の事件から着想を得た記憶の乱れというテーマ

(c)Photofest / Getty Images

『ロスト・ハイウェイ』実在の事件から着想を得た記憶の乱れというテーマ

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リンチ作品に共通する数々の印象的ファクター



 『ワイルド・アット・ハート』(90)、テレビシリーズ「デヴィッド・リンチのホテルルーム」、そして本作『ロスト・ハイウェイ』と、デヴィッド・リンチとタッグを組んできたのが、脚本家のバリー・ギフォードだ。リンチが映画監督、芸術家、俳優と多面的な人物であるのと同じように、ギフォードもまた脚本家、詩人、映画評論家とさまざまな顔を持っている。


 そもそも『ロスト・ハイウェイ』の創作のきっかけは、バリー・ギフォードの短編集「ナイト・ピープル」(文藝春秋刊)の中に出てくる“ロスト・ハイウェイ”という一節がはじまりだった。このフレーズを気に入ったリンチは、ギフォードとともに脚本を練り上げ、『ロスト・ハイウェイ』の奇譚を完成させたのだ。


 『ロスト・ハイウェイ』のアイディアの基となったのは、前述の“O・J・シンプソン事件”と、ギフォードの短編集だけではない。リンチは本作のレジュメとして、もうひとつの言葉を残している。“サイコジェニック・フーガ”だ。日本語では “心因性記憶喪失”または“解離性遁走”という心理学用語で、すなわち過重なストレス等によって記憶が喪われる病気だ。


 なるほど、そういうことかと、合点がいく。主人公のフレッドは自分の妻を殺害し、逮捕されるわけだが、彼にとっては寝耳に水。まったく身に覚えがない。妻の浮気を疑ったフレッドは、妻の殺害を実行するわけだが、そうしたストレスによって不都合な記憶を消し去ったフレッドは、目の前の現実、すなわち殺害したという事実から遁走したということだ。なによりの証拠として、フレッドはビデオカメラが嫌いだった。というより、記憶することを嫌っているのだ。「起こったとおり、記憶したくないんです」とは、映画の中でフレッドが発した言葉である。つまりフレッドの記憶は極めて曖昧なものなのだ。


 リンチの映画には多くの共通項がある。ブロンドとブルネットの美女、淡く光るシェードランプ、タバコ、黒電話、街の通りの名前、光に隠れた暗部、そして記憶、夢などのファクターだ。『マルホランド・ドライブ』では、駆け出し女優のダイアンが生前の記憶を組み替えて理想の夢を見せていたし、『ブルーベルベット』でもローラ・ダーン扮するサンディがある夢の話をしていた。


『ブルーベルベット』予告


 『ロスト・ハイウェイ』でも記憶と夢というファクターがどのリンチ作品よりも重要な核となっている。妻を殺害したにも拘わらず、記憶の一切を失ってしまう。しかも、映画の中盤では、ピート・デイトンという別人格さえ生み出している。明らかにクロであるO・J・シンプソンが、元妻殺害の容疑を全面否定するという事件は、シンプソンがサイコジェニック・フーガのようなある種の症候群を患っていたと考えることもできる。


 いずれにせよ、『ロスト・ハイウェイ』というのは、フレッドという記憶障害の男の物語なのだ。いや、しかし、それが正解であるとも限らない。そもそも、この映画に正解という概念は存在しないし、物語の結実は観た人の数だけ生み出されるからだ。しかし映画の物語が奇妙なのは、終わりに近づくように見えて、実は始まりに戻っている点だ。そう、メビウスの輪のように。これがきわめて厄介な謎として残っているわけだが、そんなことはもはやどうでもよい。


 デヴィッド・リンチの作風と比較し、極めて相反的である人物を挙げるとすれば、M・ナイト・シャマラン監督しかいない。『シックス・センス』(99)『ヴィレッジ』(04)などで知られる彼は、映画の中に敷けるだけ伏線を敷き、映画の最後ではその伏線をきれいに回収し、どんでん返しのオチを付けてくれる。


『シックス・センス』予告


 しかしリンチは対照的で、伏線を敷くだけ敷いておいて、そのまま野放しにする。わたしたち観客は、自らでそのオチを探し出さなくてはならないのだ。『ロスト・ハイウェイ』という先の読めないドラマは、まったくオチが掴めない。それがリンチ作品の醍醐味といったところか。


<参考>

映画『ロスト・ハイウェイ』劇場用プログラム



文: Hayato Otsuki

1993年5月生まれ、北海道札幌市出身。ライター、編集者。2016年にライター業をスタートし、現在はコラム、映画評などを様々なメディアに寄稿。作り手のメッセージを俯瞰的に読み取ることで、その作品本来の意図を鋭く分析、解説する。執筆媒体は「THE RIVER」「IGN Japan」「リアルサウンド映画部」など。得意分野はアクション、ファンタジー。



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