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『ビッグ・フィッシュ』空想の中に、愛をこめて――表現者の“心”が宿ったおとぎ話

『ビッグ・フィッシュ』空想の中に、愛をこめて――表現者の“心”が宿ったおとぎ話

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父と息子の“差”を、現在と過去に分けて描写



 ホラ話ばかりを語る父エドワード(アルバート・フィニー)についていけず、いつしか疎遠になってしまった息子ウィル(ビリー・クラダップ)。そんなある日、父が病に倒れたとの報せが入り、ウィルは故郷に舞い戻る。病床にあっても相変わらずの父に辟易するウィルだったが、やがてほら話に隠された“真実”を知り、父への印象が変わっていく――。


 『ビッグ・フィッシュ』は年老いたエドワードと大人になったウィルが生きる「今」と、若かりし頃のエドワード(ユアン・マクレガー)の冒険を描く「過去」が交互に描かれており、前者は落ち着いた色調とトーンで、後者は思いっきり鮮やかで華やかに彩られている点が特徴だ。バートン監督は、父と息子の違いを、「現在」と「過去」といった時代に置き換え、別の映画かと思うほどにコントラストを付けて提示している。


 しかし、父と息子の心の距離が近づくにつれ、描かれ方の“差”が融解していき、色調は明るく、語り口は穏やかに変化する。キャラクターの関係性に連動し、作品自体が両者の長所を取り入れたハイブリッドなものへと変化を遂げる演出は、実に秀逸だ。バートン監督は可能な限りデジタル効果を使用せず、色調補正は行いつつも、遠近法やアニマトロニクス、特殊な構造の衣装など、昔ながらの手法でおとぎ話のパートを撮影。温もりや肌触りが宿るように腐心したという。



 また、本作の美しい部分は、息子と父が、想いの違いこそあれ、根本的には愛し合っているところだろう。「本音で接してほしい」と思う息子と「夢を見せてあげたい」父のすれ違いはふたりに距離を生み出してしまったが、互いが互いを大切に感じている部分は共通している。父は父、息子は息子。ふたりはどこまで行っても「親子」であり、故にジレンマが生まれる。口には出さずとも、両者には「分かり合いたい」という願いがあるからだ。だからこそ、ふたりの関係性は疎遠になっても断絶することはない。


 つまり、この映画は縁を再び手繰る「きっかけ」を描くものだということ。その両端は、今日まで父子が手放さず持っていたものなのだ。断ちがたい想いがあるがゆえに、気持ちの整理さえつけば一気に良好な関係に昇華される“希望”が常にある。そもそもウィル自身、子どものころは父の話が大好きだったのだから。


 『人生はビギナーズ』(10)や『ツリー・オブ・ライフ』(11)、『ライフ・イズ・ビューティフル』(97)など、風変わりな父親との関係の変遷を描く傑作は数多いが、本作もまた“歩み寄り”という解決策を提示しつつ、バートン監督らしいファンタジックな「遊び」を手段としているところが微笑ましい。父のおとぎ話に魅了され、好きになることこそが和解の近道。つまり、究極的には息子が父を理解し、好きになるだけなのだ。



 空想の世界にばかり生きる父が、ただのお気楽な人間ではなく「現実がままならないこそ、ホラを吹く」という切実な想いで生きていたと知るとき、父と息子の生きる世界は一つになる。そうして、息子もまた父の遺志を継いでいこうとする。戦争、復興、貧乏、仕事……。時代の暗部にのまれてしまった父エドワードの人生は、自分ではどうすることもできない局面も多かったに違いない。だからこそ、自分の過去を面白おかしく“改変”する。それによって過去は明るくできるし、何より家族に暗い顔を見せずに済む。父が息子に語るおとぎ話は、最大級の優しさでもあるのだ。


 また、ウィルが“父親”になるに従い、エドワードの深奥に近づいていくという作りも興味深い。是枝裕和監督の『そして父になる』(13)も、自らが父親になったことで生じた心境の変化を練り込んでいるが、本作もまた、バートン監督の周囲で起こった「父との死別、子どもの誕生」がそのまま物語とオーバーラップし、豊かな感受性を与えている。



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