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『ビッグ・フィッシュ』空想の中に、愛をこめて――表現者の“心”が宿ったおとぎ話

(c)2003 COLUMBIA PICTURES INDUSTRIES, INC. ALL RIGHTS RESERVED.

『ビッグ・フィッシュ』空想の中に、愛をこめて――表現者の“心”が宿ったおとぎ話

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限りない愛を象徴する、水のイメージ



 『ビッグ・フィッシュ』はまた、「愛の表現」が多彩な映画でもある。最後に、この部分に言及して本稿の締めとしたい。


 過去パートでは、エドワードがサンドラ(アリソン・ローマン)に出会った際に、「時が止まる」演出が秀逸だ。ここでもサーカスという舞台が効いているのだが、雑多で華やかな会場の全てが動きを止め、エドワードは曲芸師の輪をくぐり、ジャンプした瞬間の猫に注意し、空中で静止したポップコーンを払いのけてサンドラの前に立つ。およそ映画でしかできない手法であり、「運命の人と出会うと、本当に時が一瞬止まる」というロマンチックなセリフが寄り添う。


 その後、逆に時間が早回しになり、エドワードがサンドラを見失ってしまうというようなタイム・ラプス的演出も見事だ。このシーンが続くことで「未来の妻に出会う」シーンの印象が強まり、同時に「語り手が自由に編集できる」という意味合いも強まる。こちらは、『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒』(20)等にも受け継がれたテクニックといえよう。


 サンドラの情報を得るためサーカスに入団し、3年かけて彼女と再会したものの、婚約者がいると知ったエドワード。しかし彼は諦めず、あるときは大学の講義で使うスライドに「愛してる」のメッセージを忍ばせ、ある時は飛行機で大空にハートマークを描き、彼女の家の庭に水仙畑を作って猛アピール。その後、「ケンカしないで」という彼女の願い通りに婚約者に殴られ続け、男を見せる。その後のシーンでは、よく見ると婚約者に踏みつぶされた水仙畑がハート型になっているという小粋な演出が見られる。



『ビッグ・フィッシュ』(c)2003 COLUMBIA PICTURES INDUSTRIES, INC. ALL RIGHTS RESERVED.


 徴兵されたエドワードが無事に戻ってくるシーンでは、干していたシーツに彼のシルエットが映り、めくって登場するという劇的な展開に。このように、父が語るおとぎ話のシーンは、ロマンチックなシーンがいくつもちりばめられている。


 しかし、現代のパート、つまり現実の世界でも1つ、重要な愛のシーンがある。父エドワードがバスタブに浸かる場面だ。過去のエピソードが明けると、服を着たままバスタブに潜っているエドワードが映る。観る者を驚かせるシーンだが、傍らで見守るサンドラは微笑み、自らも服を着たままバスタブに入る。そうしてふたりは抱き合い、エドワードは涙を流す妻に「泣くな」と優しく告げる。


 これは、彼の死期が近いことを示すシーンであり、作品全体の主題を象徴してもいる。それまでにも、過去パート・現代パートにかかわらずエドワードは“水”を想起させるセリフを発する。現代パートでは「なぜか昔から喉が渇く」とウィルの妻に語り、過去パートでは、サーカスの団長に「お前は魚だ」と例えられるシーンがある。『ビッグ・フィッシュ』は「ホラ話」を示す言葉だが、作品の全てのシーンにおいて、「魚」というモチーフを極めて丁寧に扱っているのだ。そして、その“仕掛け”はクライマックスに向けて結実していく。鑑賞後のカタルシスを存分に高めてくれる、実に見事な趣向といえよう。



『ビッグ・フィッシュ』(c)2003 COLUMBIA PICTURES INDUSTRIES, INC. ALL RIGHTS RESERVED.


 これらの愛のシーンを観ていくと、ウィルにとっては「ホラ話」だと感じていたものが、父と母の間では「現実」としてまだ続いているのだということが分かる。つまり、愛は現実を空想化し、色づかせるものということだ。「恋に落ちると時が止まる」「世界が変わって見える」といった状態を可視化すれば、エドワードが語る物語に近づくだろう。そして、ふたりがバスタブで抱き合うシーンは、愛し合う者にだけ真意が感じ取られる「愛の結晶」だ。


 余談だが、デル・トロ監督は、『シェイプ・オブ・ウォーター』のインタビューで「愛には決まった形がない。水と同じように」とタイトルの意図を語っており、改めて『ビッグ・フィッシュ』を観てみると不思議な符号を感じずにはいられない。ポン・ジュノ監督も『パラサイト 半地下の家族』(19)で水を「上から下に流れる」“運命”の象徴として使い、バリー・ジェンキンス監督は『ムーンライト』(16)で同じく愛のイメージの1つとして描いている。映画作家にとって、「水」は感性を掻き立て、詩情を宿す存在なのだろう。


 『ビッグ・フィッシュ』で描かれる「水に浸かる」行為が「空想を理解する」=「愛の象徴」であるならば、空想と愛は同じもの。つまり、エドワードがウィルに語っていたのは最初から最後まで愛のメッセージということになる。なんと素直ではない愛情表現だろうか。だが、この複雑な伝え方こそ、極めてバートン監督的でもある。


 たとえはみ出し者であっても、孤独を抱えていても、理解されなかったとしても――。愛情は皆に平等に発芽し、育っていくものだ。そして、自分にとって最も素直な伝え方だからこそ、質量を損なわずに相手に届けられるのかもしれない。


 愛は手段ではなく、自分そのものなのだから。



文: SYO

1987年生。東京学芸大学卒業後、映画雑誌編集プロダクション・映画情報サイト勤務を経て映画ライター/編集者に。インタビュー・レビュー・コラム・イベント出演・推薦コメント等、幅広く手がける。「CINEMORE」「FRIDAYデジタル」「Fan's Voice」「映画.com」「シネマカフェ」「BRUTUS」「DVD&動画配信でーた」等に寄稿。Twitter「syocinema



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『ビッグ・フィッシュ』

ブルーレイ発売中 ¥2,619(税込)

発売・販売:(株)ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント 

(c)2003 COLUMBIA PICTURES INDUSTRIES, INC. ALL RIGHTS RESERVED.

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