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『ビッグ・フィッシュ』空想の中に、愛をこめて――表現者の“心”が宿ったおとぎ話
映画を通して「居場所」を作る――ギレルモ・デル・トロとの共通項
同時に、エドワードの生き方自体は、クリエイターの生きざまとも重なる。自分の生活がどうであれ、芸術や娯楽を提供するのが作り手の使命であり、性(さが)であり、業でもある。それが主に他者に向かうのがクリエイターであり、家族に向かうのがエドワードなのだ。
父がなぜ嘘をついてまで自分や他人を楽しませようとするのか、ウィルにはなかなか理解できない。子どもに聞かせるためだけではなく、周囲の大人にも面白おかしく話を聞かせるエドワード。家庭内ならまだしも、息子の晴れ舞台である結婚式にもかかわらず、父はホラを吹き続ける。ウィルにとっては耳にタコができるほど聞かされてうんざりした状況だろうし、父がイタい人に映らないか心配だろうし、恥ずかしい気持ちもあろう。
『ビッグ・フィッシュ』(c)2003 COLUMBIA PICTURES INDUSTRIES, INC. ALL RIGHTS RESERVED.
『ビッグ・フィッシュ』には、作り手に共通する「情熱」は身内からすると厄介の種でもある、といったバートン監督ならではの視点が注がれている。才能と引き換えの“奇行”に自身も他者も巻き込んだ経験を持つ彼だからこそ、周囲の“痛み”を生々しく刻み付けられたのだろう。これまでの作品にあった自己投影だけではない、他者への視点の広がりにバートン監督の確かな進化が感じられる。
実際、『ビッグ・フィッシュ』以降の彼の作品群は、どうしようもなくにじみ出てしまっていた「個性」のコントロールがスムーズにできている印象を受ける(ちなみに、本作以降の10年はジョニー・デップとのコラボが続く)。そういう意味では、バートン監督の中でもターニングポイントとなった作品であるのだろう。
また、この辺りの「楽しませよう」とする一種の妄執は、バートン作品のモチーフの1つである「サーカス」の描き方からも感じ取られる。『バットマン リターンズ』(92)や『ダンボ』にも登場するサーカスという題材は、「世間から虐げられた者が脚光を浴びる場」でもあり、バートン監督の中でも重要な意味を持つ(本作で巨人カールに起こる運命が象徴的だ)。3作品全て、ダニー・デヴィートを“団長”としている点も興味深い。
『バットマン リターンズ』予告
つまはじきにされる「現実」があったうえで、スターになれる「舞台」がある――。ディズニーのアニメーターとしてキャリアをスタートするも才能と集団行動のすり合わせに悩み続け、その果てに「映画監督」という安息の場を見つけたバートン監督の人生は、確かにサーカス的ともいえよう。そして、サーカスを1つのトピックとして、映画自体に人生観が投影されているのだ。
『シェイプ・オブ・ウォーター』(17)のギレルモ・デル・トロ監督が「異形への愛」を映画というメディアで描き続けるように、バートン監督もまた、映画を通して「孤独」を描き続ける人物だ(『ビッグ・フィッシュ』の中にも、「この世で“悪者”と言われるのは、結局は孤独で礼儀知らずなだけ」というセリフがある)。しかしどちらも、「映画」に救われた感謝や愛情を忘れない。彼らの作品に「奇妙だが、愛おしい」と思わせる不思議な人懐っこさが宿っているのは、そういった理由も大きいのだろう。
孤独や不遇の味を知るからこそ、創作に光を見出す。自分が生きていていいと思えるように。そして、同じような境遇の誰かが、安心して笑えるように。彼らが作り続けるのは、「居場所」だ。