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『シンクロナイズドモンスター』でたどる怪獣映画の真意とは? 「怪獣」って何か説明できる!?
2017.11.09
伝統的な歴代怪獣を考察してみる
次に、そんな怪獣映画の歴代怪獣たちに触れてみよう。
『 キングコング』(1933年)はベーシックな怪獣映画の一つ。続編やリメイク、非公式リメイクやパロディを合わせれば10本程度はあろうか。キングコングは自然界に生き残っている神の象徴であり、また、世の男性のリビドーのメタファーとも取れ、多角的な解釈が可能な怪獣だ。狂騒の1920年代を経た映画作品であることを考えると、キングコングは乱れた文化への鉄槌であり、強心剤のような怪獣であると言える。
一方、乱れた人間の方が怪獣になってしまう作品もある。『 マタンゴ』(1963年)のキノコの怪人だが、これは欲に目が眩んだ高度経済成長期にある日本人の成れの果てだ。マタンゴにはなりたくないが、周りが皆マタンゴになってしまうくらいなら、いっそ自分もマタンゴになってしまえば良かったという皮肉なラストは、もはや怪獣映画以上の趣がある。
今でもフランチャイズ絶賛稼働中の『 ゴジラ』シリーズのゴジラだって、核や戦争の象徴であるというのは有名だ。『 シン・ゴジラ』(2016年)は東北の震災と福島原発だったし、それは ギャレス・エドワーズ監督が撮った『 GODZILLA ゴジラ』(2014年)も同様だ。戦争や震災からの復興は喜ばしいことだが、決してあの恐怖を忘れてはいけない。我々が次世代に負う責任を、ゴジラは思い出させてくれる。
そのゴジラと戦った怪獣たちもまた興味深い。有名なのは『 ゴジラ対ヘドラ』(1971年)のヘドラである。ヘドラはご存知の通り、公害の化身だ。高度経済成長の副産物である公害が怪獣となったのが、このヘドラだ。ヘドラが人間を殺しまくる描写の恐ろしいことと言ったら無い。
『シンクロナイズドモンスター』(c)2016 COLOSSAL MOVIE PRODUCTIONS, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
『シンクロナイズドモンスター』に一番近いのは、『 大怪獣ガメラ』(1965年)かも知れない。飼っていた亀を捨てた少年が、ガメラを目の当たりにし「あれは自分が捨てた亀だ」と思い込むシーンがある。目の前の大惨事は自分のせいなのだと思い、彼は亀を捨てたことを後悔する。この少年の自責の念は、『シンクロナイズドモンスター』の主人公に通じるものがある。人類全体の罪のメタファーとしてでなく、自分個人の不始末が怪獣の姿をとって街を炎に包んでいるのだから、これより恐ろしい事は無い。
以上に挙げた怪獣はほんの氷山の一角だが、怪獣はいつも、人間の「罪」を映す鏡なのだ。