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『20センチュリー・ウーマン』1979年を軸に音楽でたどる、映像作家マイク・ミルズのルーツ

『20センチュリー・ウーマン』1979年を軸に音楽でたどる、映像作家マイク・ミルズのルーツ


同じ「パンク」でもトーキング・ヘッズとブラック・フラッグは水と油!



 そしてこの1979年に吹き荒れていた音楽ムーヴメントが、パンク~ニューウェイヴである。先ほどのマイク・ミルズのコメントにはザ・クラッシュとザ・ダムドの名前が出ていたが、『20センチュリー・ウーマン』のジェイミーが夢中になっているのは、トーキング・ヘッズ。リーダーのデヴィッド・バーンを中心に、N.Y.の美大生たちが集まって結成された彼らは、その前年、1978年にセカンド・アルバム『モア・ソングス』を発表(共同プロデュースはブライアン・イーノ)。黒人音楽を独自に解釈したリズム主体の楽曲に、時事風刺的な歌詞をシニカルに乗せた、バンド名どおりの知的なアプローチで世界的な注目を得はじめていた。彼らはニューヨーク・パンクの聖地として知られるライヴハウス「CBGB」の出身ではあるが、例えばロンドン・パンクの荒々しいイメージとは大きく異なるスタイルで、ローリング・ストーン誌は初期の彼らを「パンクというより、アイヴィー・リーグ(米北東部の名門私立大学群)好みのポップ・ミュージックを演奏しているバンド」と評したこともある。要はパンクの文脈から派生して、より多様性や洗練をまとっていったのが次のニューウェイヴという流れだ。


 映画の中ではまずオープニングに「心配無用のガヴァメント」(DON’T WORRY ABOUT THE GOVERNMENT)という曲が流れる(ファースト・アルバム『サイコ・キラー‘77』収録)。どうやらジェイミーにトーキング・ヘッズの魅力を教えたのは、間借り人としてやってきたN.Y.帰りの24歳の女性アビー(グレタ・ガーウィグ)のようだ。彼女は写真家としてN.Y.のアートシーンに乗り込んでいったが、子宮頸がんを患って地元に戻ってきた。SF映画『地球に落ちて来た男』(1976年)のデヴィッド・ボウイに倣って髪を赤く染めており、N.Y.出身の思想家・知識人、スーザン・ソンタグ(彼女もまた子宮頸がんを患っていた)の信奉者であり、先鋭的なフェミニストでもある。




 そんなアビー師匠の高度な教育のおかげで、ジェイミーはめきめきサブカル偏差値の高い文化系男子として急成長していくわけだが、しかしそれが原因で近所の友だちと大モメする事件が起こる。そいつに「トーキング・ヘッズはホモだ!」といきなり悪態をつかれ、自家用車である白いフォルクスワーゲンに“ART FAG”(アートかぶれの軟弱野郎)とスプレーで落書きされてしまうのだ。しかも、さらにその左側には“BLACK FLAG”の文字。


 ブラック・フラッグとは、L.A.ハードコア・パンクを代表する存在として人気上昇中だったバンドであり、サンタバーバラの男子にとっては地元に近い場所のニュースター。当時のブラック・フラッグ(ロン・レイズがヴォーカルの時期)や彼らを取り巻くシーンの様子は、『ザ・デクライン』(1981年)という傑作ドキュメンタリーで観ることができる。頭脳派のトーキング・ヘッズのファンと、ゴリゴリのハードコアファンである南カリフォルニアのヤンキーは、同じ「パンク」の範疇で語られるものであっても、まさに水と油だった。とはいえ、マイク・ミルズ自身はスケボーキッズだったこともあって、L.A.周辺のタフな連中に支持されていたブラック・フラッグも好きだったようだ。だからこのシーンも単純に「逆ディス」をかましたわけではなく、「両派は仲悪いけど、俺、実はどっちも好きなんだよな~」とでもいうような、当時の音楽状況に対する複雑繊細なニュアンスが持たされている。



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