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『20センチュリー・ウーマン』1979年を軸に音楽でたどる、映像作家マイク・ミルズのルーツ
2017.12.11
ザ・レインコーツとライオット・ガールの系譜
さて、では一方、アビーのフェイバリット・バンドは何だろうか?
それはザ・レインコーツだ。ロンドン・パンクに触発されて1970年代後半に結成されたガールズ・バンドであり、ささやかな活動状況とは裏腹に後続への影響力は多大で、特に女性バンドの道を切り開いたとされる。『パーティで女の子に話しかけるには』(2016年)でもちらっと紹介されていたアリ・アップ率いるザ・スリッツがいかにもパンク然とした攻撃性に満ちているとしたら、ザ・レインコーツはもっと脱力系。米ニューハンプシャー州フリーモントの伝説の姉妹バンド、シャッグスを引き継ぐような味わいのイノセントなガレージ・バンドといった趣だろうか。
映画の中ではアビーがジェイミーと一緒に、ファースト・アルバム『The Raincoats』(1979年)の冒頭を飾る曲「フェアリーテイル・イン・ザ・スーパーマーケット」を聴いているシーンがある。その部屋にドロシアに入ってきて、思わず顔をしかめてこんなことを言ってしまう
「この音楽は何? もっと綺麗に演奏できないの?」
それを受けてアビーはこう応えるのだ。「強いフィーリングがあれば、技術はいらないの。生々しいエナジーがほとばしっている。最高でしょ?」。
ザ・レインコーツの信奉者の著名人としては、ニルヴァーナのカート・コバーンが特に知られているが、グランジ・ムーヴメント隆盛と同じ時期の1990年代前半にアメリカで登場した四人組のガールズ・パンク・バンド、ビキニ・キルなども、ザ・レインコーツやザ・スリッツの精神を受け継いだ存在だ。
インディーロックの名盤『プッシー・ホイップド』(1993年)を発表し、フェミニン・パンクを再勃興させた彼女たちは、「ライオット・ガール」という女子文化ムーヴメントの旗手と呼ばれる存在になった(ライヴ動画がYou Tubeに結構上がっているので是非チェックして欲しい)。『ヒース・レジャーの恋のからさわぎ』(1999年)の邦題でDVDリリースされたアメリカ映画には、ザ・レインコーツやビキニ・キルを愛聴する反抗的でフェミニストの女子高生(ジュリア・スタイルス)が登場する。彼女こそ当時の典型的かつ純度の高い一般のライオット・ガール像だ!
『20センチュリー・ウーマン』© 2016 MODERN PEOPLE, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
そこから翻ると、『20センチュリー・ウーマン』のアビーというのは、遥かなる先駆者、元祖ライオット・ガール的な存在と言えるだろう。アビーはマイク・ミルズの二人の姉がモデルだという。そして姉からフェミニン・パンクの英才教育を受けたマイク・ミルズも、1990年代はユース・カルチャーの現場の渦中で、キム・ゴードン(ソニック・ユース)やソフィア・コッポラが立ち上げたレディースファッション・ブランド「X-girl」のロゴデザインを手掛けたりなど、ライオット・ガールの隣接地域にいた。
さらに彼のパートナーであるマルチ・アーティスト、ミランダ・ジュライ(『君とボクの虹色の世界』(2005年)や『the Future ザ・フューチャー』(2011年)といった映画監督作もある)は、ライオット・ガールの末裔的な作家・表現者だ。
以上を踏まえると、マイク・ミルズとは「最もライオット・ガールのそばにいた(いる)男」というポジショニングが考えられるかもしれない。『20センチュリー・ウーマン』は、彼の文化的並びに思想的なルーツを明瞭に知ることができる映画だ。そして今につながる彼のすべては1979年からはじまったのである。
文: 森直人(もり・なおと)
映画評論家、ライター。1971年和歌山生まれ。著書に『シネマ・ガレージ~廃墟のなかの子供たち~』(フィルムアート社)、編著に『ゼロ年代+の映画』(河出書房新社)ほか。「週刊文春」「朝日新聞」「TV Bros.」「メンズノンノ」「キネマ旬報」「映画秘宝」「シネマトゥデイ」などで定期的に執筆中。
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※2017年12月記事掲載時の情報です。