(c)2020 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved.
『魔女がいっぱい』奇想天外なロアルド・ダールの世界を、名匠ゼメキスはどう生まれ変わらせたか?
かつてギレルモ・デル・トロが映画化を試みたことも
ちなみにこの「魔女がいっぱい」は、'83年に出版され、その7年後にはニコラス・ローグ監督によって映画化されている(操り人形師として知られるジム・ヘンソンが素晴らしい芸術性を発揮している)。それから00年代の後半には、ギレルモ・デル・トロがストップモーション・アニメ技術を用いて映画化を構想したこともあったようだ。
なにしろダールの世界では、動物や昆虫たちが表情豊かに言葉を操り、人間と対等にやりとりを交わす。それは「魔女がいっぱい」も同様。大魔女は恐ろしい素顔をあらわにし、ネズミ化した少年も所狭しと屋内を走り回り・・・この不思議な世界観を映像で表現しようと思えば、確固たるヴィジョンと特殊な技法が不可欠なのは明らかである。
『魔女がいっぱい』(c)2020 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved.
思えば、『ジャイアント・ピーチ』や『ファンタスティックMr.Fox』もストップモーション・アニメを用いた作品だったし、その後、『BFG:ビッグ・フレンドリー・ジャイアント』(16)では、スティーブン・スピルバーグ監督が最新のモーション・キャプチャー技術を用いて、巨人と少女の交流を映像化した。そして今回、スピルバーグを兄貴分として慕うゼメキスが、まるで後を追うようにCG技術を結集してダール作品へ挑んだことはとても興味深い限りだ。
もしかすると、彼らのように「最新技術でやれること/やれないこと」を知り尽くした名匠の瞳には、かくもダール作品が「いまこそ登るべき山」として燦然と輝いて見えているのかもしれない。
逆に言えば、こうやって名だたる監督が何百、何千ものスタッフを束ねて生み出す創造世界を、当のダールは自宅脇の執筆小屋で、2メートル近い長身を縮こませながら「その身ひとつ」で書き上げてしまっているのである。そう考えると、人間の頭の中で渦巻くイマジネーションってやつは本当に偉大で、果てしなく、底知れない。
今年はダールが亡くなってちょうど30年目。今後も映画界ではミュージカル版をベースにした「マチルダ」や、そのほかウィリー・ウォンカの若かりし頃を描いた作品などが製作予定らしい。コロナ禍を乗り越えた先、各々のクリエイターがどんな手法でダールの世界に挑むのか、大いに期待したいところだ。
参考資料
・「魔女がいっぱい」(評論社/2006)ロアルド・ダール作/清水達也・鶴見敏訳
・「『チョコレート工場』からの招待状」(文溪堂/2007)チャールズ・J・シールズ著、水谷阿紀子訳
・「まるごと一冊ロアルド・ダール」(評論社/2000)ロアルド・ダール、レイモンド・ブリッグズほか、田村隆一、佐藤見果夢訳
1977年、長崎出身。3歳の頃、父親と『スーパーマンII』を観たのをきっかけに映画の魅力に取り憑かれる。明治大学を卒業後、映画放送専門チャンネル勤務を経て、映画ライターへ転身。現在、映画.com、EYESCREAM、リアルサウンド映画部などで執筆する他、マスコミ用プレスや劇場用プログラムへの寄稿も行っている。
『魔女がいっぱい』12月4日(金)全国公開
配給:ワーナー・ブラザース映画
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