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『魔女がいっぱい』奇想天外なロアルド・ダールの世界を、名匠ゼメキスはどう生まれ変わらせたか?
ゼメキス版の大胆な翻案にびっくり
2020年はハリウッドの新作映画に触れる機会が激減した年となってしまったが、そんな中、ダールの名作「魔女がいっぱい」が新たな映画作品となってスクリーンにお目見えするのは嬉しい限りだ。しかもメガホンを取るのはあの名匠ロバート・ゼメキスなのである。
もしもあなたが一度でも原作を紐解いたことがあるなら、この映画版を見て多少なりともビックリされるはず。なぜなら、元々の原作ではイギリスとノルウェーを股にかけたストーリーだったものが、本作ではなんと「60年代後半のアメリカ・アラバマ州のお話」へと様変わりしているのだ。
それに伴い、主人公も黒人の男の子(ジャジール・ブルーノ)へ。最愛の両親を自動車事故でなくした少年は、やがて遭遇する子供嫌いの大魔女(アン・ハサウェイ)によってネズミの姿に変えられてしまう。けれど彼は挫けることなく、おばあちゃん(オクタビア・スペンサー)の助けを借りて、魔女たちが目論む「世界中の子供をネズミに変えてしまおう計画」を阻止しようと奮闘しーーーー。
『魔女がいっぱい』(c)2020 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved.
ご存知のようにゼメキスは、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズに代表されるように、キャリアを通じて「アメリカの姿」を描き続けてきた人だ。その点、本作でも抜かりはない。流れてくる音楽、文化、色味や髪型も、全て60年代のアメリカ。よくぞ原作のストーリーラインをそのままに、ほかの要素をきれいさっぱりと移築できたものだと感心するほどである。
その上、彼は自身が汲み取った「魔女がいっぱい」の原作のテーマについて「自分らしくあることを認めること」「本当の自分を探し、それを認める旅」(劇場パンフレットより)とも述べている。こういった言葉に触れた瞬間、私にはにわかに、同じ60年代、同じアラバマ州を無心になって駆け抜ける”フォレスト・ガンプ”の姿が、主人公の少年と重なって浮かび上がってくるかのように感じられた。
本作は無邪気で奔放な楽しさを維持しながら、時に、そういったゼメキス作品が、80~90年代に見せたような懐かしいタッチを思い起こさせるところがある。たとえダールの原作であろうと、主人公の中にはやはり「ゼメキスらしさ」が息づいているのである。