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『トキワ荘の青春』伝説のアパートを舞台に描く若き漫画家たちの光と影(後編・撮影編)

©1995/2020 Culture Entertainment Co., Ltd

『トキワ荘の青春』伝説のアパートを舞台に描く若き漫画家たちの光と影(後編・撮影編)

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本木雅弘と小劇場系俳優を組み合わせたキャスティングの妙



 実在の漫画家たちが実名で登場する場合、いわゆるエクスキューズが必要となる。本作の冒頭でも、「史実に基づいて描いたフィクション」という、ことわりが出る。


 これさえ出しておけば、いくら創作しても構わないかと言えば、そうでもない。事実を知る者からすれば、あまりの改変は興ざめする。多くの関係者が存命中だけに、当人からクレームが付く可能性もある。実際、アニメーション『ぼくらマンガ家 トキワ荘物語』(81)が作られたときは、石ノ森章太郎がキャラクターデザイン、鈴木伸一が監督として参加したことで、トキワ荘の仲間内から意見が言いやすい雰囲気があり、混乱を来したという。藤子Aによると、


 「第一稿のシナリオについて、めいめい『ぼくはこんなこと言わなかったよ』とかカンカンガクガクとうるさい。なんせ、実在のモデルが多くいるので大変だ。石森氏の描いたキャラクター表についても、『あ! オレの顔、こんなヘンなのに描いて』とか、『ぼくの足、短足すぎるよ』とか注文続出。これでいったいまとまるんだろうか、と心配する」(『 トキワ荘青春日記』)


 という騒ぎだったという。幸い、『トキワ荘の青春』では、関係者の理解があったことから、自由な作劇が可能になったようだ。脚本執筆前の取材でも、赤塚不二夫は「フィクションでいいんだ」と、市川を後押ししたという。とはいえ、史実を大きく逸脱するエピソードは少なく、トキワ荘ファンが観ても、納得できるものになっている。


 キャスティングでは、主役の寺田ヒロオの意外な配役が話題になった。ドラマの『まんが道 青春編』では、河島英五(前シリーズでは渡辺寛二)が演じ、イメージ通りと評判になったが、『トキワ荘の青春』では本木雅弘が演じた。


 公開時、寺田=本木は、あまりにもイメージがかけ離れているという意見があった。外見も雰囲気も全く違うのだから、違和感を覚えても不思議ではない。公開に合わせて復刊された『トキワ荘青春日記』でも、藤子Aは「本木サンの寺さんは、トキワ荘時代には、ぼくたちに見せることのなかった深い青春のカゲリが出ていて」と、遠回しながらも違和感を抱いていることを感じさせる書き方をしていた。


©1995/2020 Culture Entertainment Co., Ltd


 本木の起用は、プロデューサー・サイドからの要望だった。地味な内容だけに、主役は華のある俳優を――ということで決まったものだが、市川準には主役をプロデューサーの希望通りにしておけば、それ以外のキャスティングを自由に出来るという目論見もあった。と言ってしまうと、まるで本木を出すことが不本意であったかのように見えてしまうが、本作の2年前に市川はNHK-BSで、『ラッキィ』という短編を本木主演で撮っていた。これは本木からの指名で監督したもので、このときに初めて組んでいた。


 この時期の本木は、ゴールデンタイムの連ドラにひっきりなしに主演する一方で、映画は、『ラストソング』(94)、『RAMPO』(94)、『GONIN』(95)など、華美で激しい印象が強かった。『トキワ荘の青春』は、『GONIN』と撮影が一部重なり、極端に差がある役を掛け持ちすることになったが、市川は本木の醒めた部分、抑えた芝居の良さに気づいており、「あんまりやりすぎないでねと一言いって、カメラのうしろから見てると、けっこう内面的ないい芝居をしてくれます。その読解力はかなりのもの」(『シネ・フロント』(96年3月号)と評価していた。


 本作の撮影は1995年6月8日、日活撮影所11ステージに組まれたトキワ荘の室内セットからクランク・インした。最初に撮られたのは、寺田が薄暗く寒い部屋で起き出して、身支度を整えて漫画を描き始める映画の冒頭場面である。本木はこのシーンについて、後にこう回想している。


 「暑い盛りの撮影だったんですけど、画にひんやりとした季節感が出ていて自分でも驚きました」(『キネマ旬報』96年4月下旬号)


 そして、すんなり映画の世界観に入っていけた理由を、「その空気を感じとれるだけの完璧なセットがありましたので」と語っている。


 昨年、話題を呼んだNHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀/本木雅弘』は、未公開スペシャルに加えて、本木の副音声を付けた再放送まであったが、一見すると才能に恵まれた存在のはずが、常に自身の能力に疑いを持ち、不安にさいなまれながら地道に努力を続ける生真面目な姿は、まるで後年の寺田ヒロオのようだった。市川は、外見はまるで似ていない本木に、寺田と通じるものを発見していたのではないだろうか。


 2012年に刊行された藤子Aの著書『78歳 いまだ まんが道を…』(中央公論新社)では、現在の視点から『トキワ荘の青春』が語られている。映画の公開時期に出るパブリシティ用のコメントからは本音が見えにくいが、ここでは正直な感想を読み取ることができる。本木が演じた寺田について、「最初に見た時は、本木雅弘さんはちょっとテラさんとは違うなあと思っていましたが、何度も見ているうちに、実際のテラさんとは違うけど、テラさんの何というか、一種の孤高性と言いますか、それがすごくよく出ていて、だんだんいい感じをうけるようになってきました」と、印象の変化を明かしている。


 この発言が信用できるのは、同書で藤子Aは『トキワ荘の青春』を、「ビデオで今も、何度も見返します」語っているからだ。特にラストカットの後のエンドロールを毎日のように観ているという。そこでは『胸の振子』が流れ、モノクロの8ミリフィルムで撮影されたトキワ荘の日常風景が映される。撮影の合間に寺田の部屋で鍋を囲む日を設けたというが、そうしたタイミングで撮られたのだろうか、当時の本物のフィルムを見ているかのような気分になる。


 最後には皆で体を寄せ合って記念撮影するカットがあるが、これは実際に藤子Aが当時撮った写真と同じ構図で再現してある。それもあって、このエンドロールを何度も巻き戻しては眺めるという藤子Aは、『胸の振子』が流れると「もうなんだか、涙が出てきて」と万感胸にせまる気持ちになるのだという。この時点で、手塚治虫も、寺田ヒロオも、藤子・F・不二雄も、石ノ森章太郎も、赤塚不二夫も、もうこの世になかった。


©1995/2020 Culture Entertainment Co., Ltd


 ところで、本作のキャスティングは、市川の趣味が炸裂したように凝りに凝ったものになっている。小劇場へよく通うというだけあって、演劇の世界ではすでに知られていても、映画ではまだ実績が少ない俳優たちを次々に配しているのが見どころで、撮影時に所属していた劇団名と共に記すと、藤子・F・不二雄役に映画出演2作目の阿部サダヲ(大人計画)、手塚治虫役は北村想(プロジェクト・ナビ)、森安なおや役にこれも映画2作目の古田新太(劇団☆新感線)、鈴木伸一に生瀬勝久(劇団そとばこまち)、石ノ森章太郎の姉役に安部聡子(青年団)。他にも石ノ森役のさとうこうじ、つのだじろう役の翁華栄といった今ではベテランの舞台系俳優たちが顔を揃えているのが、何とも豪華だ。


 もう一方に、映画の作り手たちも出演している。学童社の『漫画少年』編集長役は、『ゆきゆきて、神軍』(87)、『れいわ一揆』(19)の原一男監督である。


 一見すると接点のなさそうな市川と原だが、市川の『ノーライフキング』(89)でB班撮影を担当したのが原である。『人間の証明』(77)や『復讐するは我にあり』(79)で撮影助手をすることもあった原は、『ゆきゆきて、神軍』を完成させた後で、撮影応援を頼まれたのだ。もっとも、このときは市川と話す機会はなかったようで、1995年2月、ベルリン映画祭へ市川は『東京兄妹』、原は『全身小説家』(94)をそれぞれ出品していたことから、ホテルのバーで一夜をともにして意気投合することになった。その席で、原は映画に出てみたいと市川に直談判したという。帰りの飛行機で市川は、原からもらった『ゆきゆきて、神軍』製作ノートを読み耽りながら、『トキワ荘の青春』の構想を練った。こうした出会いが、わずかな場面ながら人間味あふれる原の演技が生まれることになったようだ。撮影した場面はもっと長かったというが、上映時間の関係からカットされたという。なお、本作は当初の編集では4時間近くあり、エピソードも刈り込んで、現在のバージョンに落ち着いたという。


 藤子不二雄Aを演じた鈴木卓爾は、この当時は自主映画作家として活動する一方で、矢口史靖監督『裸足のピクニック』(93)に脚本で参加したり、『夏の思い出 異・常・快・楽・殺・人・者』(95)に主演するなど、知る人ぞ知る存在だったが、今では話題作に多数出演する俳優であり、映画監督としても『ゲゲゲの女房』(10)、『嵐電』(19)などで、毎回高い評価を得る存在になっている。


 水野英子役の松梨智子は、市川が審査員を務めていたPFF(ぴあフィルムフェスティバル)の出品作に出演していた縁で出演することになり、この段階では無名だったが、本作以降、平野勝之監督の『流れ者図鑑』(98)に出演。その後も監督・主演作『毒婦マチルダ』(98)が話題になるなど、当時のインディペンデント映画で目立つ存在になっていった。


 公開時には、これらのキャストは趣味的すぎるとも言われたが、市川自身は、「こういう人たちとのほうが話が合う」(『東京人』96年4月号)というだけあって上手く個性を活かしており、映画の経験が少ない俳優たちも、それぞれのスタイルでのびのびと存在感を際立たせている。藤子不二雄の2人を生き写しのように演じた阿部サダヲと鈴木卓爾など、演劇と映画の世界から、この2人を選んで組ませた市川の彗眼は、寺田ヒロオにも劣らないと言えるのではないか。


 こうしたキャストを前にして〈不利〉に感じたのが本木である。特にある種のスター性は、こうした作品では悪目立ちすることもある。その不安をこう語っている。


 「芝居を作っていくときも、(自分は)監督さんの指示や台本にのっとってという他力本願で、その中で自分なりの何かが出せれば、と。でも小劇場の皆さんは、ふだんの生活と芝居作りが混ったように生きていて……」(『キネマ旬報』96年4月下旬号)


 そうやって悩みぬく生真面目さは、やはり寺田ヒロオを演じるに最も相応しいと思えてしまう。自分とは異なる場所から現れた才能ある若い俳優たちに気後れしながら見せる本木のナイーブな演技は、芝居と漫画の違いはあれども、寺田と重なって見える。


 1995年7月半ば、撮影日数42日で『トキワ荘の青春』はクランク・アップした。この年は阪神淡路大震災に始まり、3月には地下鉄サリン事件が発生し、社会は黒い霧に覆われていた。銀座で寺田と棚下照生が会うシーンを撮った5月16日は、麻原彰晃が逮捕された日であり、都内は厳戒態勢が敷かれていた。まさに本作は、オウム事件の余震が続く東京で撮られていたのである。


 市川準はメイキングの『映画日記』のインタビューで、「嫌な災害や、嫌な事件が多すぎた時期だったので、人を愛せなくなっている。街角に立って人々を見ていても、どうも愛おしく思えない。でも、昔はそうじゃなかったんじゃないか」と、過去に目を向けた理由を明かし、「そういうときに人を見る歓びにあふれた映画を撮れた」と、胸をなでおろすように語っている。



 1996年3月の公開から間もなく25年。あの頃と同じ暗さが漂う時代に、『トキワ荘の青春』は再びスクリーンに帰ってくる。それは映画を観る歓びを感じさせてくれる希望となるはずだ。



<前編・企画編>はこちら



【主な参考文献】

『えすとりあ 季刊2号』(えすとりあ同人)、『トキワ荘の時代』(梶井純著・筑摩書房、ちくま文庫)、『トキワ荘青春日記』(藤子不二雄著・光文社/復刊ドットコム)、『トキワ荘青春物語』(手塚治虫&13人著・蝸牛社)、『二人で漫画ばかり描いてきた 戦後児童漫画私史』(藤子不二雄著・毎日新聞社)、『ぼくはマンガ家 手塚治虫自伝・1』(手塚治虫著・大和書房)、『章説・トキワ荘・春』(石森章太郎著・講談社)、『トキワ荘最後の住人の記録』(山内ジョージ著・東京書籍)、『トキワ荘実録 手塚治虫と漫画家たちの青春』(丸山昭著・小学館文庫)、『「トキワ荘」無頼派 漫画家森安なおや伝』(伊吹隼人著・社会評論社)、『「漫画少年」史』(寺田ヒロオ編著・湘南出版社)、

『復刻版 漫画少年』(国書刊行会)、『「漫画少年」物語 編集者・加藤謙一伝』(講談社)、『加藤謙一日記抄』(私家版)、『手塚治虫エッセイ集成 わが想い出の記』(手塚治虫著・立東舎)、『漫画教室』(手塚治虫著・小学館)、『まんが道大解剖』(三栄書房)、『愛…しりそめし頃に… 満賀道雄の青春』(藤子不二雄A著・小学館)、『 78歳 いまだ まんが道を…』(藤子不二雄A著中央公論新社)、『物語としてのアパート』(近藤祐著・彩流社)、『「市川準」研究』(市川準研究会)、『キネマ旬報』『月刊シナリオ』『シネ・フロント』『東京人』『文藝春秋』『サンデー毎日』『週刊現代』『広告批評』『読売新聞』『朝日新聞』『毎日新聞』、劇場パンフレット



文:モルモット吉田

1978年生。映画評論家。別名義に吉田伊知郎。『映画秘宝』『キネマ旬報』『映画芸術』『シナリオ』等に執筆。著書に『映画評論・入門!』(洋泉社)、共著に『映画監督、北野武。』(フィルムアート社)ほか



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『トキワ荘の青春 デジタルリマスター版』

2021年2月12日(金)よりテアトル新宿、シネリーブル池袋ほかにて全国順次公開

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