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『ハイドリヒを撃て! 「ナチの野獣」暗殺作戦』ナチス・ドイツ史上、最も異色の事件「エンスラポイド作戦」を描いてきた映画の系譜

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『ハイドリヒを撃て! 「ナチの野獣」暗殺作戦』ナチス・ドイツ史上、最も異色の事件「エンスラポイド作戦」を描いてきた映画の系譜

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憂国の志士たちの悲壮美が充満するエモーショナルな『暁の7人』



 そしてもう一本は、1975年のアメリカ映画『暁の7人』。監督は英国出身のルイス・ギルバートで、マイケル・ケインが様々な女性をコマして渡り歩くプレイボーイを演じた異色ラブコメ『アルフィー』(1966年)や、『007』シリーズの人気作を三本(『007は二度死ぬ』1967年、『007/私を愛したスパイ』1977年、『007/ムーンレイカー』1979年)手がけている。腕の立つ職人だ。そしてロンドンからプラハに降り立つ実在の軍人ふたり、主人公のヤン・クビシュとヨゼフ・ガブチークを、ティモシー・ボトムズとアンソニー・アンドリュースが演じている。 


 原作はアラン・バージェスのノンフィクション小説(1976年、『暁の七人――ハイドリッヒの暗殺』のタイトルで早川書房から邦訳本が刊行された。いまは絶版)。それだけに内容は史実にほぼ忠実で、必然的に『ハイドリヒを撃て! 「ナチの野獣」暗殺作戦』とは大部分が重なっている。ただ『ハイドリヒを撃て!』がレジスタンス側からの視点に徹しているのに対し、『暁の7人』はナチス側のパートも多く、作戦の準備と標的ハイドリヒの動きを並行して追っていく構成だ。 


 さて、基本的には同じ内容を描く『ハイドリヒを撃て!』と『暁の7人』だが、その決定的な違いは演出の「タッチ」である。一言でいうと前者はドライ、後者はウェット。『ハイドリヒを撃て!』がドキュメンタリー・タッチに準じる作風だとしたら、『暁の7人』はもっとロマンティックで抒情的なのだ。終盤などはハードメロウな悲壮美に傾き、『俺たちに明日はない』(1967年)や『明日に向って撃て!』(1969年)などのアメリカン・ニューシネマが描き出してきた破滅の美学に近いものを感じる。これも時代性の反映だと思うが、まだ革命幻想など、政治の季節の残り火がぶすぶすと燃えているようだ。激しくエモーショナルなぶん、いま見ても強く胸を打たれるのは『暁の7人』の方かもしれない。 


 タッチの違いとは、題材・対象への視座の違いから生じるものであり、それは「エンスラポイド作戦」に参加した憂国の志士に対する温度差や距離感にも表われている。『暁の7人』では悲劇のヒーローだが、『ハイドリヒを撃て!』の場合、犠牲を苦慮する良識派の反対を押し切って決死の突撃を叫ぶヨゼフ(キリアン・マーフィ)など、かなりファナティック(狂熱的)な軍人にも見えるのだ。こういったニュートラルな眼差しは非常に現代的だと思う。 


 『ハイドリヒを撃て!』を観れば、レジスタンスの側にもいろいろな意見や立場、それぞれの正義に基づく主張などが複雑に渦巻いていたことがよくわかる。こういった世界像の捉え方に変化や成熟が起こることこそ、時代を経て同じテーマの映画が作られることの意義だろう。この3本を比較してみることで、歴史の多面性といったものがよく見えてくるのではなかろうか。




文: 森直人(もり・なおと)

映画評論家、ライター。1971年和歌山生まれ。著書に『シネマ・ガレージ~廃墟のなかの子供たち~』(フィルムアート社)、編著に『ゼロ年代+の映画』(河出書房新社)ほか。「週刊文春」「朝日新聞」「TV Bros.」「メンズノンノ」「キネマ旬報」「映画秘宝」「シネマトゥデイ」などで定期的に執筆中。



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2017年8月12日(土)より新宿武蔵野館他全国順次公開


※2017年8月記事掲載時の情報です。

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