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まさかのトリロジーとなって日本再上陸する幻の傑作『ヘンリー・フール』巧みな語り口の肝となったハル・ハートリー流の“見せない”技術とは?

まさかのトリロジーとなって日本再上陸する幻の傑作『ヘンリー・フール』巧みな語り口の肝となったハル・ハートリー流の“見せない”技術とは?


「見せない」という方法論がもたらした無限の可能性



 一方、『ヘンリー・フール』はというと、これが『パターソン』とは真逆の「見せない」という方法論を採る。間違いなく「詩」は物語の核をなすもの。しかし本作ではサイモンがノートにしたためる詩も見せなければ、ヘンリーが書く大著「告白」の中身も、その文節すら具体的に表現されることはない。これは例えて言うなら、ヒッチコック映画などでよく用いられる「マクガフィン」という手法とも似ているかもしれない。結果的にこの手法が我々の想像力を十二分に刺激し、それらの「著作」が持ちうるインパクトを最大限に膨らませることを可能としているのだ。


 ただし、この方法論がうまく機能するように別の作戦も張られている。それらは詩に直接触れた者たちによる抜きん出たリアクションである。一人一人の反応が非常にバリエーションに富み、さらにはそれが社会現象を織りなしていくまでの段階の踏み方も極めて巧みだ。




 物語の中、サイモンが詩を書いたノートの切れ端は、まずは店のカウンターに貼られ、それを読んだある者は歌いながら涙し、ある者は「卑猥だ!」と激高する。やがて高校の壁新聞に掲載されるやファンが増え、PTAからは糾弾され、いつしかコミュニティや社会全体を巻き込む大きなうねりとなっていく。挙げ句の果てにはインターネットまで登場して、詩の存在はバイラルな社会現象をますます加速させていく。1997年当時、ここまで踏み込んだ描き方をするのはかなり珍しいというか、現代を見越した極めて予言的な描写とも言えるだろう。


 そういった意味でも、「見せない」という選択は、本作をごく個人に限定された物語ではなく、むしろ社会全体の神話として提示する上でも有効だったのではないか。もともとハートリーは「部分」を描くことで全体を想像させる名手だが、本作ではその方法論がキャリアで最も高い効果を発揮しているように思えるのである。


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