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『チャーリーとチョコレート工場』ロアルド・ダールの世界観から沁み出したティム・バートンの作家性

(c)Photofest / Getty Images

『チャーリーとチョコレート工場』ロアルド・ダールの世界観から沁み出したティム・バートンの作家性

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歩み寄れなかった両親への思い



 興味深いのは、鑑賞を進めるにつれティム・バートン自身とウォンカとが絶妙に重なって見えてくる点だ。すなわちバートンにとっての映画は、ウォンカにとってのチョコレートといったところか。


 そして、両親との関係性もまた重要な部分だ。バートンと両親がずっと折り合えず人生を歩んできたことは有名な話。彼は過去に両親と和解しようとしたことがあったが、その時はまるでうまくいかず、再びそんな気持ちになった時にはもうすでに時が遅すぎたそうだ。


 本作のラストには、ウォンカが父親に会いにいく心温まるシーンがある。それは完全なる和解や解決ではないけれど、一つの歩み寄りであり、互いに頑なだった心がにわかに溶け合う瞬間だ。そしてウォンカは、彼の活躍を報じる新聞記事や雑誌の切り抜きを父がずっと収集して気にかけてくれていたことを知る。



『チャーリーとチョコレート工場』(c)Photofest / Getty Images


 バートンもまた、2002年にヘレナ・ボナム・カーターと共に、亡くなる前の母を訪れたことがあったという。その時、依然として関係性を改善できずにいた母がバートン作品のポスターを持っていることを初めて知り、彼は震えるほど感動したという。前作『ビッグ・フィッシュ』(03)と並んで、この時期のバートン作品に両親への思いが透けて見えてくるのにはそんな背景があるのだろう。


 ともあれ、ダールの原作に忠実であろうとしながら、結果的にバートンの頭の中のフィルターを介して観客へと照射された「チョコレート工場」は、かくも世界でただ一つ、唯一無二の、やっぱりバートン色があちこちに見て取れる一作へと仕上がった。


 二人の世界観と作家性が混ざり合い化学変化を巻き起こす様を目の当たりにできることは、我々にとっても大変喜ばしいことだ。1990年に天に召されたダールがバートン作品の出来に微笑んでいるかどうかは皆目わからないが、映画ファンである我々は、原作本、71年の映画と共に、そのいずれをも末長く愛し、語り継ぎたいものである。


参考・引用文献

・「映画作家が自身を語る ティム・バートン」マーク・ソールズベリー編、遠山純生訳、フィルムアート、2011年

・「ダールさんってどんな人?」クリス・ポーリング著、灰島かり訳、評論社、2007年

・「『ダ』ったらダールだ!」ロアルド・ダール著(ウェンディ・クーリング編)、柳瀬尚紀訳、評論社、2007年



文:牛津厚信 USHIZU ATSUNOBU

1977年、長崎出身。3歳の頃、父親と『スーパーマンII』を観たのをきっかけに映画の魅力に取り憑かれる。明治大学を卒業後、映画放送専門チャンネル勤務を経て、映画ライターへ転身。現在、映画.com、EYESCREAM、リアルサウンド映画部などで執筆する他、マスコミ用プレスや劇場用プログラムへの寄稿も行っている。



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