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『テイラー・オブ・パナマ』真実と虚構の狭間で揺れる”仕立て屋”にジョン・ル・カレが投影したもの

(c)Photofest / Getty Images

『テイラー・オブ・パナマ』真実と虚構の狭間で揺れる”仕立て屋”にジョン・ル・カレが投影したもの

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このタイミングでしか生まれ得なかった作品



 ル・カレ作品では”情報”や”情報網”に焦点が当てられることが多い。真実か嘘かを見抜くためにはその人物の信頼性を見極めることが重要で、逆にもし相手を騙そうとするのであれば、嘘はより精巧かつ緻密でなければならない。そして世界中のどこで活動しようとも、情報網の構築は自らが生き延びる上での生命線となる。この傾向は第二次大戦下におけるスパイ戦でも、東西冷戦においても変わらず、時代や状況がもう随分違っているかに見える1999年以降のパナマでも、行われていることはほぼ同じだ。こういった普遍的な部分を人間ドラマとして浮き彫りにするのがル・カレは本当にうまい。


 その反面、2001年という年に注目すると、本作が公開されて半年も経たぬうちに9.11同時多発テロが発生し、世界をめぐる状況が根底から覆ってしまった時期でもある。スパイ映画の潮流も大きく変わり、007的なものに変わって『ボーン・アイデンティティー』(02)のような硬派でリアリズム重視の戦闘的なタイプが主流となった。いずれにしても『テイラー・オブ・パナマ』のような南米を舞台にし、嘘か本当かで揺れる諜報ドラマに生き残る道はなかったはず。後にも先にも、9.11直前のこの時期だったからこそ生まれ得た作品に思えてならない。



『テイラー・オブ・パナマ』(c)Photofest / Getty Images



ル・カレが込めた”もうひとつ”の意味



 だが、本作を俯瞰すると、さらに別の側面が見えてくる。というのも、原作小説「パナマの仕立屋」の訳者あとがきには、ル・カレがとあるインタビューに答えた内容が転載されており、そこで彼が触れているのは、小説家としての自身が抱える”罪悪感”についてなのだ。


 小説家として、読者に対して事実と虚構を巧妙に織り交ぜてひとつの創造世界を仕立て上げることを生業とするル・カレ。そうした点において、自身と仕立て屋ハリー・ペンデル(ペンデルという言葉にではドイツ語で”振り子”という意味がある)の立場は非常によく似ているーーというのである。その上でこの原作を「極めて私的な作品」とさえ語っているのが特徴的だ。


 また、「真実と虚構」という要素がル・カレにとっていかに重要なテーマかを知りたいなら、2017年に刊行された回想録「地下道の鳩」を紐解くのもいいかもしれない。この中で彼は、かつて小説「パーフェクト・スパイ」の題材にもなった自身の父親について、かなりのページを割いて語っている。周囲の人々を巧妙かつ堂々たる態度でだまし、逮捕歴や収監歴もあり、幼少期からずっとル・カレや家族の人生に深い影響を及ぼし続けてきた父ロニー。おそらく愛憎半ばの感情を寄せていたであろう忘れえぬ実父に関し、ル・カレはこう述べている。


 「詐欺師ロニーは、何もないところからストーリーを紡ぎ出し、存在しない人物を描写し、存在しない絶好のチャンスをありありと示した。(中略)これらすべてが作家の本質でないとしたら何なのか」


 つまり、諜報機関への勤務を経て、今こうして作家として生きる自分は、父ロニーの血や業のようなものを自ずと引き継いだ存在、ということを言っているのだろう。


 かくも「真実と虚構」は、2020年に亡くなったル・カレにとって人生のあらゆる瞬間に絶えず付きまとう複雑で深遠なテーマだった。そして『テイラー・オブ・パナマ』は、彼が90年代当時に抱えていた思いを、パナマという小国ながら海上輸送の心臓部でもある場所に投影することで、自分自身について深く探究しようとした作品とも言えるのである。


参考・引用文献

・「パナマの仕立て屋」ジョン・ル・カレ著、田口俊樹訳、集英社、1999

・「ジョン・ル・カレ伝」アダム・シズマン著、加賀山卓朗・鈴木和博訳、早川書房、2018年

・「地下道の鳩」ジョン・ル・カレ著、加賀山卓朗訳、早川書房、2017年

・「テイラー・オブ・パナマ」ブルーレイ(ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント)音声解説、インタビュー映像



文:牛津厚信 USHIZU ATSUNOBU

1977年、長崎出身。3歳の頃、父親と『スーパーマンII』を観たのをきっかけに映画の魅力に取り憑かれる。明治大学を卒業後、映画放送専門チャンネル勤務を経て、映画ライターへ転身。現在、映画.com、EYESCREAM、リアルサウンド映画部などで執筆する他、マスコミ用プレスや劇場用プログラムへの寄稿も行っている。



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