2024.07.05
モノクローム、枯淡のブルース・ダーン
「いまこの映画を観ると、何もしゃべらないところが好きです。映画における沈黙が好きなのです」(アレクサンダー・ペイン)*
映画監督である前に映画ファンであることを強調するアレクサンダー・ペインにとって、モノクロ映画を作ることは念願の企画だったという。当初パラマウント・スタジオはモノクロで制作することに反対している。アレクサンダー・ペインという映画作家のコアには、ハル・アシュビー監督をはじめとする70年代のアメリカ映画と同時に、プレストン・スタージェス監督をはじめとするスクリューボール・コメディへの憧れがある。
『ネブラスカ』において、デヴィッドとロス(ボブ・オデンカーク)の兄弟がコンプレッサーを奪い返すシーンのコミカルな演出はたまらなく楽しい。全力ダッシュで車を追いかける兄弟の並びがフレームに入ってくるとき、完璧な喜劇の構図が生まれる。このシーンは『サイドウェイ』(04)における結婚指輪奪還シーンのドタバタ喜劇を想起させる。『ネブラスカ』でブルース・ダーンが演じるウディという名前は、プレストン・スタージェスの『凱旋の英雄』(44)の主人公ウッドローからとったという説もある。英雄に仕立てあげられた男の喜劇という点で、100万ドルの宝くじに当選したとされるウディと重なるものがある。
撮影監督のフェドン・パパマイケルは、モノクロ映像の方が「よく見える」ことがあると強調している。とても豊かな発言だ。たしかに車に乗っているときの風になびくウディ=ブルース・ダーンの白髭は、モノクロの画面だからこそ「よく見える」。モノクロだからこそ、その沈黙の中にウディ=ブルース・ダーンの“彫刻性”が浮かび上がるというべきか。枯淡の境地にいるブルース・ダーン。もはやこの役をブルース・ダーン以外の俳優が演じることは考えられないレベルにある。また、モノクロ映画ということに関して、フェドン・パパマイケルはヴィム・ヴェンダースの『都会のアリス』(73)のルックに影響を受けているという。
『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』(c)Photofest / Getty Images
アレクサンダー・ペインとブルース・ダーンの関係性は深い。長編デビュー作『Citizen Ruth』(96)で主演を務めたのは娘のローラ・ダーンだ。デビュー作以後、ウェス・アンダーソンの『天才マックスの世界』(98)とも比較された鮮烈な学園コメディ『ハイスクール白書 優等生ギャルに気をつけろ!』(99)、ジャック・ニコルソン主演の大傑作『アバウト・シュミット』(02)に続き、アレクサンダー・ペインが故郷で映画を撮るのは『ネブラスカ』で4度目になる。本作を撮るにあたり、アレクサンダー・ペインはブルース・ダーンを助手席に乗せ、地元を案内している。車の中という親密な距離感が二人の仲間意識、相互理解を生んだという。劇中のウディとデヴィッドの関係のように。
ブルース・ダーンはウディの独特の歩き方を表現するため、靴の中に小石を詰めていたという。また、ウディという役を演じるにあたり、子供の頃に感じていた家族内での疎外感を引き寄せ、自身の人生を重ねていく。ウディは朝鮮戦争の帰還兵だ。戦争体験は確実に、ウディの身体に、そしてこの作品のアメリカの風景自体にも“パンチドランク”のような深い影を落としている。アレクサンダー・ペインのすべての映画は、何らかの要因で人生の機会を失ってしまった人たちに深い愛を注いでいる。