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『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』人生の終わりを見据える喪のパレード

(c)Photofest / Getty Images

『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』人生の終わりを見据える喪のパレード

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尊厳の喪失と奪還



「人々に何かを言う機会があったとき、そうしなかった。それは私の責任だ」(ブルース・ダーン)*2


 ある人にとっては善人だが、ある人にとっては悪人だ。アレクサンダー・ペインは一人の人間が他人からどのように見えるかというテーマ、その複眼性にこだわっている。たとえば『アバウト・シュミット』のウォーレン(ジャック・ニコルソン)にとって、娘の婚約者はどうしようもない男だが、娘や彼の家族にとっては大切な存在だ。『ネブラスカ』のアルコール中毒で徘徊老人のウディは、あきらかに他人から見くびられている。しかし賞金を手にするとされるウディは、旧友たちからまるで英雄のように歓迎される。少なくとも表面上は。落ちぶれていたウディには過去の金銭問題を問わなかった住人たちが、大金を手にすると知った瞬間に、急に昔の話を持ち出すようになる。旧友のエド(ステイシー・キーチ)に至っては、「(ウディだけが幸せになるのは)不公平だ」と言い出すような始末だ。


 デヴィッドは父親のことを愛しているが、同時に見くびってもいたのだろう。しかしアメリカン・ドリームへの幻想、永遠に遅れている自己実現に対する心の焦りや危機感は、ウディとデヴィッドに共通するものだ。果たして自分の人生は有意義なものだったのだろうか。人生の終わりを見据えるいま、自分には何もなかったのではないだろうか。『ネブラスカ』の静止画のような風景、TVで放映されるアメリカンフットボールを皆で黙って見る止まったような時間は、この疲れた町の人々が抱える虚無が、フレームの中へと吸収されていくような錯覚を覚える。



『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』(c)Photofest / Getty Images


 もしアレクサンダー・ペインの映画に教訓的なものがあるとするならば、いかなる人も見くびってはならないということだろう。アレクサンダー・ペインの映画は、他人から見くびられた人、見くびられていると感じている人に愛を注いでいる。それは何らかの理由で機会を逃し続けながら大人になってしまった人たちに愛情を注ぐ、『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』(23)にも確実につながっている。


 100万ドルの夢が叶わないことを知ったウディは、これまで以上に生きる気力を失っているようだ。デヴィッドは父親と過ごす残された時間がないことを知っている。人生において機会を逃し続けてきたウディ。すべてが手遅れになる前に、デヴィッドは最後の親孝行のアイデアを決行する。本物か偽物かなんてどうだっていい。そんなものは紙一重にすぎないとばかりに。カウボーイのようにネブラスカの通りを凱旋するウディ。『ネブラスカ』という珠玉の作品は、世間から見くびられていた人、あるいは自分で自分を見くびってしまった人たちの尊厳を取り戻そうとしている。


*1 [Alexander Payne: Interviews] Julie Levinson

*2 [Alexander Payne: His Journey in Film] Leo Adam Biga



文:宮代大嗣(maplecat-eve)

映画批評。「レオス・カラックス 映画を彷徨うひと」、ユリイカ「ウェス・アンダーソン特集」、リアルサウンド、装苑、otocoto、松本俊夫特集パンフレット等に論評を寄稿。



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