主役の出演時間がいちばん短い⁉︎
今でこそティム・バートン作品の主人公といえば、エドワード・シザーハンズに代表されるような、ちょっと物悲しさと奇妙な外見を持った心優しきアウトサイダー、といったイメージがお馴染みになっている(これそのものは初短編作『ヴィンセント』/82に登場する主人公が起源なのではないかと推測する)。
が、同様のキャラをこの『ビートルジュース』内に探そうとしても、まだこれといったピタリと当てはまる人物は存在せず、あえていうならビートルジュース本人がどこにも属さない奇妙なアウトサイダーであり、ウィノナ・ライダー演じる少女リディアもまた、全身黒づくめでいつも物事を別の角度から見つめるアウトサイダー。まあ、その流れで言うと、故人でありながら”この世”に留まらざるを得ないアダム&バーバラ夫妻もまた、立派なアウトサイダーと呼べるのかもしれない。
つまるところ本作は、主役級の役柄が一人に固定化されず、それぞれ乱立した物語とも言える。普通に考えるとタイトルロールがそのまま主人公と捉えるのが筋ではあるのだが、実は彼の登場時間はトータルで20分にも満たず、残りの時間を織りなすのは他の登場人物たち。彼ら各々が個性を剥き出しにして化学反応を起こしまくる、いい意味で非常にまとまりがなく、その上、規定の枠に全く収まらない作品に仕上がっている。
『ビートルジュース』(c)Photofest / Getty Images
風変わりで賑やかな、バートン流”死後の世界”
また、本作はのちのバートン作品の定番となる、この世と異世界との二重性が作品の重要な要素として描かれ、いざ死んだ夫婦が壁にチョークで扉を描くと、そこを入り口としてあの世がひょっこりと顔を出すのも見どころだ。
あの世と言ってもバートンが描くのは暗くてドロドロした場所ではない。どこかユーモラスで意表をつく驚きと発見と奇抜さが満載のところだ。相談受付の待合室は特殊メイクによって外見がユニークに彩られた変人だらけで、かと思えば、バックヤードでは公務員風のガイコツさんたちが脇目も振らずにあくせく働いていたりもする。
その他にも本作には、墓場、ボーダー(縞模様)、犬など、いずれ人々がそれを定番のバートン印と認識することになる奇異なる諸要素がぎっしりと焼き付けられている。ある意味、イマジネーションの見本市のようでありながら、常識に囚われることなく、自由気ままにひしめき合って共存しているからこそ、このお祭り騒ぎ的な賑やかさがより際立ってくるのかもしれない。