1. CINEMORE(シネモア)
  2. 映画
  3. 黒い十人の女
  4. 『黒い十人の女』を甦らせた渋谷系映画とは?
『黒い十人の女』を甦らせた渋谷系映画とは?

『黒い十人の女』を甦らせた渋谷系映画とは?

Index

忘れ去られていた『黒い十人の女』


 市川崑の全盛期と呼ばれる大映時代(1956~1964年)。『炎上』『鍵』『野火』『おとうと』『私は二歳』『雪之丞変化』など、映画化困難に思えるような文芸作品から、育児書、モダン時代劇まで、映画にならないものはないとばかりに、あらゆる原作を妻で脚本家の和田夏十と共に、市川崑ならではの映画へと華麗なアレンジを施し、作り上げてきた。この時代の作品は、大部分がいち早くビデオ化されていたが、長らく観ることができなかったのが、『黒い十人の女』である。

 もっとも、今では『黒い十人の女』と言えば、テレビドラマとして市川崑がセルフリメイク(02年)し、続いてナイロン100℃によって舞台化(11年)され、さらに連続テレビドラマ化(16年)までされた定番の名作というイメージがあるが、ここ20年の間に名作として認知されるようになったにすぎない。1997年のリヴァイヴァル公開まで、知る人ぞ知る隠れた作品だった。とはいえ、1961年度の『キネマ旬報』ベストテンで第10位にランクインしているのだから、最初からカルト映画だったわけではない。ただし、当時のベストテンの慣習として、一度ベストテンの常連監督に仲間入りしてしまうと、ヘンな映画を撮っても、監督のネームバリューでランクインすることがあった。『黒い十人の女』が長らく名画座でも上映されず、ソフト化もされずに忘れ去られたのは、そうした理由があったのかも知れない。

数々の名作を甦らせた渋谷系映画


 こうした幻の映画が、ごく稀に顔を出す時がある。例えば、国立近代美術館フィルムセンターが所蔵するフィルムの中には、映画会社が上映プリントを持っていない作品が含まれているので、細かく上映をチェックしていると、思わぬ作品にめぐり会うことがある。実際、『黒い十人の女』もそんな1本として、脚本を書いた和田夏十を追悼して1983年にフィルムセンターで上映された。この時に本作を発見したのが、まだピチカート・ファイヴを結成する前の小西康陽だった。以来、ことあるごとに小西は本作を推し、1986年に発売されたコンピレーション・アルバム『別天地』に小西はYOUNG ODEON名義で、その名もズバリ『黒い十人の女』という楽曲を提供したほど。

 それから更に歳月を経て、『黒い十人の女』はピチカート・ファイヴPresentsで甦ることになったが、そこには、90年代の映画をめぐる状況が関係してくる。

 現在の六本木ヒルズが建つ場所には、かつて映像・音楽メディアを扱う六本木WAVEがあった。地上7階のビルで、1~4階が音楽ショップ、その上はスタジオが入っていた。地下にはアート系映画を上映するミニシアターがあった。シネ・ヴィヴィアン・六本木である。

 この劇場で、1991年にピチカート・ファイヴ+ザ・コレクターズPRESENTSによる『ナック』(65年)のリヴァイヴァル上映が行われてヒットしたことから、以降、60年代の隠れた名作を、従来の映画史上の名作という括りだけでなく、そこで使われる音楽、劇中のファッション、映像といった視点から観る若い観客が増えていった。やがて若者文化の中心が六本木から渋谷へ移行したのに合わせるように、シネセゾン渋谷をはじめとする渋谷のミニシアターで、『バーバレラ』(68年)、『砂丘』(70年)『黄金の七人』(65年)や、ゴダールなどの60年代の作品が次々とリヴァイヴァルされるようになった。そして、時期を同じくして、浸透した言葉が〈渋谷系〉である。

 渋谷系とは、「九三年頃、HMV渋谷店のバイヤーだった太田浩がリコメンドしていた邦楽アーティストや、宇田川町の小さなレコードショップに足繁く通う音楽マニアが愛好していた日本のインディー・レーベル所属のアーティストを総称するカテゴリー」(『渋谷音楽図鑑』牧村憲一・藤井丈司・柴那典 著/太田出版)と定義されているが、渋谷系アーティストと目されていたピチカート・ファイヴの小西康陽や、カヒミ・カリィらが映画にも精通していたことから、音楽にとどまらず、渋谷系のミュージシャンや、そのリスナーが好む映画を、〈渋谷系映画〉と括ることがあった。

 公開当時はそれほど評価が高くなかった作品や理解されなかった作品を、内容やテーマから解放する鑑賞スタイルは、音楽ファンをはじめ、従来の映画ファン以外の観客を集めた。実際、凝ったデザインのパンフレットに、サウンドトラック、ファッションブランドとコラボしたTシャツ、トートバッグなどの関連商品が劇場の売店で飛ぶように売れたのも、そうした理由からである。

若い観客が再発見した現役の巨匠・市川崑


 しかし、90年代も後半になってくると、有名作品はあらかた発掘し終わっていた。そこに登場したのが、ピチカート・ファイヴPRESENTSの『黒い十人の女』だった。シネセゾン渋谷でレイトショーされることになったが、それまでの渋谷系映画のリヴァイヴァルは、ほぼ洋画で占められており、市川崑は当時、現役の巨匠監督というイメージが強いだけに、果たしてこの試みは成功するか否か注目を集めたが、フタを開けてみると、シネセゾン渋谷で13週ものロングラン上映となり、レイトショー歴代動員記録2位(1位は同じくリヴァイヴァル作品の『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』)を打ち立てた。

 公開当時は、プレイボーイの主人公に弄ばれた女たちが復讐するという物語が注目されたが、現代ではさほど珍しいものではない。内容よりも、美しいモノクロ映像、グラフィカルな市川崑の映像センスによって捉えられた60年代の東京、テレビ業界、そして岸恵子、山本富士子をはじめとする女優たちを陰影豊かに映し出す映像美学は、まさに90年代の渋谷系映画にうってつけだった。

 こうして『黒い十人の女』と共に市川崑も、それまでの日本映画を代表する巨匠監督とは別の視点から若い観客に再発見され、以前から評価が高かった文芸映画以外にも、実験的で狂騒的な魅力に満ちた初期作品に注目が集まるきっかけとなった。また市川崑も、巨匠に相応しい大作を手がける一方で、漫画のコマを立体化させた実験精神に満ちた紙人形アニメ『新選組』(00年)を手がけるなど、『黒い十人の女』の再評価と人気は、晩年の市川崑に新たな刺激を与えたようだ。その証拠に、『新選組』の主題歌を手がけたのは小西康陽だった。




 『黒い十人の女』  価格 ¥1,800+税

 発売元・販売元 株式会社KADOKAWA

(C) KADOKAWA 1961

作品情報を見る

PAGES

  • 1

この記事をシェア

公式SNSをフォロー

関連する商品

  • ピチカート・ファイヴ+ザ・コレクターズPRESENTSでリバイバル公開された『ナック』
  • シネセゾン渋谷レイトショー歴代動員記録1位『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』

新着うんちく

NEWS / 特集

人気うんちく

上映中のおすすめ作品

counter
  1. CINEMORE(シネモア)
  2. 映画
  3. 黒い十人の女
  4. 『黒い十人の女』を甦らせた渋谷系映画とは?