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『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離』リチャード・リンクレイターが紡ぐ、時間と空間の哲学とは
2018.12.18
アメリカ映画とフランス映画
本作は、レオ・マッケリー監督の古いアメリカ映画『邂逅』(39)がベースになっているといわれる。こちらは船旅から生まれるロマンスを描き、そこから『君の名は』(53)のような、すれ違い恋愛ドラマへと移行していく。
だが本作『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離』は、あくまで旅先のシーンのみで、二人の出会っている時間だけを扱っているのが特徴的だ。そのぶん、二人の会話しているところが長く描写されている。
本作の物語が進んでいくに従って、奇妙な点に気づくはずだ。通常の恋愛映画というのは、ラストで主人公たちが結ばれるにせよ、離れることになるにせよ、それぞれの愛情を試すようなドラマチックな事件が起こり、浮き沈む展開を見せるはずである。実際に『邂逅』や『君の名は』などはそのようなつくりになっている。しかし本作は、時間的な制約と、互いに遠距離に住んでいる地理的な制約という障壁が存在しているだけで、内容自体は惹かれ合う二人が恋愛についてや、そうでない様々なトピックについて話し合っている描写ばかりなのだ。
『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離』(c)2017 Warner Bros. Entertainment Inc. All rights reserved.
そういった手法は、前作『バッド・チューニング』や、この後撮られることになる『ウェイキング・ライフ』(01)などを見ることで、より理解できよう。リンクレイターは、文学や舞台演劇における、美しいところだけでなく、人間をそのまま描写するような、自然主義的でリアルな会話劇の手法を、自作にとり込んでいるのだ。そして、とくに『バッド・チューニング』のように、若者のポップカルチャーを、アート的な文脈でとらえることによって、これまでにないジャンルを掘り起こし、既存の作品にはなかったオリジナリティを獲得している。これは、やはりクエンティン・タランティーノ監督やケヴィン・スミス監督らとも共通する特徴である。
会話しながら古都をめぐる二人。そこでは、撮影や演技のうえでの即興性が活かされてもいる。そこにはフランスの映画芸術運動「ヌーヴェル・ヴァーグ」からの影響も見られる。その点でも、ジャン=リュック・ゴダールを信奉するタランティーノ監督の『パルプ・フィクション』(94)などと近しい手法がとられているといえるだろう。
本作では、アメリカ人とフランス人の恋が描かれるが、それは前述したような、ハリウッドが作り上げてきたポップカルチャーの枠組みと、フランス映画のアート性の結合を示しているように感じられる。そういう意味で、ここでは物語と作品のつくりがシンクロしているのである。そしてそれは、90年代に隆盛したアメリカのインディペンデント映画の内容における、最も明快な説明になっているように思われる。