新旧ハリウッドの攻防
しかし、映画化は難航を極めた。時代はすでにニューシネマなのに、未だ大開拓時代の残像を引きずるハリウッドメジャーの歴々たちは、まず、この"第2の人生"に待ったをかけてきた。「ジョン・ウェインならば西部を逃げ出したりしない」というロジックで。そこで、ゴールドマンは脚本をほんの少しだけリライトすることで、重役たちを納得させる。
そして、もう1つ、製作者たちを悩ませたのは、ビリング(序列)の問題だ。ゴールドマンに因ると、当初の原題は「サンダンス・キッド&ブッチ・キャシディ」だったという。なぜなら、製作開始前、スティーブ・マックイーンとポール・ニューマンが同時に出演を承諾していて、当時の人気度を鑑み、マックイーンが演じることになっていたサンダンスの方を前に持ってくるのが自然だったからだ。結果的に、マックイーンが降板して題名は元の「ブッチ・キャシディ&サンダンス・キッド」に戻されたが、2大スターのビリング問題は『タワーリング・インフェルノ』(74)で再燃する。映画の冒頭、序列では上とされる左側にマックイーンの名前が表示され、ニューマンの名前は右側の、上下序列では上にあたる少し上部に配置されるという苦肉の策が取られている。
レッドフォードを強く推薦したニューマン
マックイーンに代わってサンダンス役に起用されたのがロバート・レッドフォードだった。レッドフォードの起用を強く望んだのはニューマンだ。彼は相手役にスターではなく、アクターを求めた。レッドフォードをニューマンに推薦したのは妻のジョアン・ウッドワードだったという説もあるが、ニューマンとレッドフォードは共にブロードウェーで俳優人生をスタートさせた東部出身者。ニューマンが2人の間に生まれるハリウッド俳優とは異なるケミストリーを期待したことは容易に想像がつく。しかし、蓋を開けてみたらケミストリーどころの話ではなかった。
『明日に向って撃て!』(c)Photofest / Getty Images
彼らの関係は譲歩と敬意に始まり、やがて、撮影中のジョークの応酬とオンオフに関係なく飲み干されるアルコールの影響もあって、気が付くと、お互いかけがえのない関係になっていた。そのプロセスを実際のエピソードを交えて紹介しよう。まず、レッドフォードは自発性を重視してニューマンとのリハーサルを頑なに拒んだが、相手へのリスペストを優先して譲歩。また、走る列車の屋根の上を進行方向に向かって走るシーンも含めて、すべてのスタントを自らやりたがったレッドフォードだが、ニューマンに「誰も英雄は求めてない。俺は共演者を失いたくないんだ」と説得されて、ここでも譲歩。
何かにつけて若造ぶりを露呈するレッドフォードに呆れながらも、徐々に愛着も感じ始めていたニューマンは、レッドフォードが左利きだったことから、映画のタイトルを『Waiting for Lefty』に替えてはどうかと、監督のジョージ・ロイ・ヒルに提案したこともあった。『Waiting~』はニューマンがかつて師事したアクターズ・スタジオの創設メンバー、リー・ストラスバーグ等と共にメソッドを発見したアメリカ演劇界の重鎮、クリフォード・オディッツによる舞台劇。内容は、皆が待ちわびる左利きが遂に最後まで現れないという不条理劇だ。それが、意気揚々と撮影に臨んだレッドフォードを揶揄していることは言うまでもない。勿論、レッドフォードに舞台の知識があることを前提にしたジョークである。