2019.03.05
監督が72分間、ワンカット長回しを選択した理由
それでは、『ウトヤ島、7月22日』における72分間の長回しとは一体何だったのか。
それは決していたずらに緊張感を高めたり、緊迫感を煽ったりするようなものではない。あくまで、あの日、あの場所に居合わせた少女の目線を借りることで、彼らの身に起きた一瞬一瞬を検証し、感じたこと、目撃したこと、交わした会話に最大限寄り添おうとするアプローチと言えるだろう。
『ウトヤ島、7月22日』Copyright (c) 2018 Paradox
「私はこの方法こそ、この物語を語る唯一の方法だと信じている」
監督を務めたエリック・ポッペはそう語っている。
彼が言うには、「一般的な映画製作の手法では、どうしても観るものと映像との間に距離感が生まれてしまう」。だからこそ本作では「カット、モンタージュ、クロスカッティング、サウンドトラックなど、従来の映画製作技法をあえて使わないことによってこの距離をなくし、彼らが目撃し、体験したことから(観客が)目を背けることができない状況を生み出した」のだという。技法や作為的な何かをできるだけそぎ落としていったところで最後に残ったものが、この「カメラの前で起こったことをそのまま映し撮る」というワンカットの手法だったのではないだろうか。
またポッペ監督は、犠牲者やその遺族、またこの惨劇によって負傷された人々への配慮も込めて、事実をそのまま再現するようなドキュメンタリーにはしなかった。あくまで入念なリサーチや若者たちの証言を得た上で、それを「脚色ができないドキュメンタリーではなく、あえて架空の物語にすることで、この事件をより鮮明に描けると考えた」のだそうだ。となると、主人公の少女はいわば、あらゆる若者たちの視点を集約させた存在とも言えるのかもしれない。
この日、希望に満ち溢れていた若者たちが次々と命を落としていった。彼らが何を思い、どのような未来を思い描いていたのか。本作は恐怖や絶望だけでなく、そんな人間性の部分をも自ずと浮き彫りにしながら、一人一人が生身の人間であったこと、懸命に生きようとした姿を描き出す。
ポッペ監督は「この映画が、事件について人々が熟考し議論するきっかけになってくれることを願っている」とも語っているが、なるほど、こうして距離を取り払い、人々の視点に肉薄することで、我々は記憶を受け継ぎ、彼らの感じたものを共有し、未来への想いを新たにすることができるのかもしれない。本作のワンカット撮影は、こういった事件や犠牲者たちのことを決して忘れまい、悲劇を二度と繰り返すまいとする、静かな、しかし極めて強靭な作家性の表れである。
ちなみに、Netflixではポール・グリーングラス監督のもと、同じ題材を扱った『7月22日』をリリースしている。こちらとも比較することで、各々の作家性やアプローチがより鮮明に浮かび上がってくるはずだ。
1977年、長崎出身。3歳の頃、父親と『スーパーマンⅡ』を観たのをきっかけに映画の魅力に取り憑かれる。明治大学を卒業後、映画放送専門チャンネル勤務を経て、映画ライターへ転身。現在、映画.com、EYESCREAM、リアルサウンド映画部などで執筆する他、マスコミ用プレスや劇場用プログラムへの寄稿も行っている。
『ウトヤ島、7月22日』
監督:エリック・ポッペ
配給:東京テアトル 提供:カルチュア・パブリッシャーズ、東京テアトル
2018年/カラー/ビスタ/97分
Copyright (c) 2018 Paradox
2019年3月8日(金)ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国ロードショー
※2019年3月記事掲載時の情報です。