お気楽妻ローラ役のゴルシフテ・ファアハニの歩んだ壮絶人生
映画『パターソン』でゴルシフテ・ファアハニが演じるローラは小悪魔である。とっても美しくて、とっても天然。家の改造計画は無尽蔵で、毎日、何かしら、模様替えが起きている。お料理の冒険心も尋常じゃなく、普通じゃない組み合わせの料理を作り、パターソンを困らせたりする(彼は顔に出さないけれど)。
最も笑っちゃうのが、突然、シンガーになると言い出して、中途半端に高いギターを通信販売で買いたいと言い出すことだ。パターソンは、それは胡散臭いと思っているようだけど(なにせ感情を表には見せない)、やる気になっている妻にダメとは言い出せない。かくして、ギターは家に届き、彼女はうまいとは言えない演奏を披露する。
ここだけ見ると、他愛ない夫婦の一コマにしか見えないが、演じるゴルシフテのたどってきた人生、彼女のフィルモグラフィと重ね合わすと、さすがジャームッシュ。鮮明に浮かび上がってくるものがある。
ジャームッシュは彼女を、イランを代表する映画監督だった(今は亡命中)バフマン・ゴバディの『HALFMOON』(06・日本未公開)で見て「すっかり惹かれてしまった」と言っている。この映画は、伝説的なクルド人の老ミュージシャンがコンサートを行うために、古いバスに乗って、ともに演奏してくれるミュージシャンを探しに行くロードムーヴィー。旅の中で、素晴らしい歌い手である女性歌手を探しに行くのだが、イランでは人前で女性が歌うのは禁止されていて、それでも歌うとなると命を懸けるのと同じことで、様々な困難を伴う。そんな映画に出たゴルシフテに、好きな時に、好きなだけ、気ままに歌う、という役を演じさせるなんて。ジャームッシュの表現の自由への希求心は実に高い。
彼女は2008年、アメリカ映画『ワールド・オブ・ライズ』にアイシャ役で出演した後、イラン政府当局の総合的な判断に基づき、一時、イランからの出国禁止処分を受けている。のちにアカデミー賞外国映画賞を二度も受賞するアスガル・ファルハーディー監督のイラン映画『彼女が消えた浜辺』で素晴らしい演技を見せ、今は、ヨーロッパをベースに女優とピアニストを両立させている。
ご存知のように、イランはかつて素晴らしい映画監督を輩出した国だったが、ここ数年の政治に振り回され、多くの映画監督たちが表現の自由を制限され、亡命を余儀なくされる状況に追い込まれている。ところが、911やシリア情勢を受け、アメリカ政府から排除されるターゲットになることも多い。今年のアカデミー賞では、大統領に就任したばかりのトランプ大統領がイスラム教徒の多い7か国の国民の入国を拒否するという大統領令を発布したことに抗議し、外国映画部門にノミネートされていた先のアスガル・ファルハーディー監督が参加をボイコットしたという出来事も記憶に新しい(そのノミネート作品『セールスマン』は見事、外国映画賞を受賞した)。
そんな変遷を頭に入れておくと、好きな時に好きな詩を書き、好きな歌を歌い、好きな料理をし、表現することにおいて何者にも邪魔されることなく暮らすパターソンとローラの夫婦の風景がいかに尊いものか、様々なことを想起させられるのだ。
映画ジャーナリスト。「キネマ旬報」「装苑」「ケトル」「母の友」など多くの媒体で執筆中。著書に映画における少女性と暴力性について考察した『ブロークン・ガール』(フィルムアート社)がある。『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)、『アジア映画の森 新世紀の映画地図』(作品社)などにも寄稿。ロングインタビュー・構成を担当した『アクターズ・ファイル 妻夫木聡』、『アクターズ・ファイル永瀬正敏』(共にキネマ旬報社)、『伝説の映画美術監督たち×種田陽平』(スペースシャワネットワーク)などがある。
公式HP: http://paterson-movie.com/
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※2017年9月記事掲載時の情報です。