2019.06.04
ぽっかりと空いた穴、あるいは時が止まった世界
原作はマイケル・オンダーチェが著した「イギリス人の患者」。試しに紐解いてみると、これが普通の小説とは少しばかし違っていて驚かされる。オンダーチェがもともと詩人であることも手伝って、すべての文章が極めて簡潔で、一瞬一瞬を克明に捉えるかのように、目に浮かぶような情景が点描されていく。「小説というより、まるですべてが詩のようだ」と称する人もいるほど。
この文体にひとたび惹かれると、そのまま深く心の奥底に降下していくみたいに、この物語そのものに恋してしまう。ミンゲラも初めて読んだ時、時が経つのも忘れて没頭してしまったという。
このような原作を脚色するのは、一見たやすいように見えて、実は至難の技だ。ミンゲラはすべての歴史的事実を洗い出し、自分の親のルーツとも言えるイタリアにも思いを馳せ、さらに原作世界をバラバラにして「映画的なもの」へとゼロから構築し直していった。
冒頭、空を舞う飛行機がドイツ軍の猛攻にさらされながら砂漠へ突っ込んでいく。燃える機体。操縦席の男は全身を炎で焼き尽くされながら、かろうじて一命を取り留める。もはや損傷がひどすぎて彼が何者なのか分からない。名前も思い出せないという。彼はこの救護所で、名もなき「英国人の患者」なのだった。
『イングリッシュ・ペイシェント』(c)Photofest / Getty Images
だが、接しているうちに自ずとわかってくることもある。彼は上流階級の英語を話し、その端々から教養の高さと、人を魅了する個性がうかがえる。また内面に目を向けると、彼はどうやら心に深く、生涯癒すことのできない傷を負っているようでもある。
もう先は長くない。そう察した看護師のハナ(ジュリエット・ビノシュ)は、軍の移動に付き従って彼を動かすのは得策ではないと考えた。そこで廃墟となった修道院で彼を看取ろうと決める。そこはまるで、戦時中にもかかわらず、ぽっかりと空いた穴、あるいは時が止まった世界のようでもある。
彼らだけではない。ここにはいつしかカナダ人のカラバッジョ(ウィレム・デフォー)が流れ着き、さらにインド人の兵士キップ(ナヴィーン・アンドリュース)も加わる。彼らは4人で奇妙な共同生活を始めることになるのだ。