(c)2018 NORD-OUEST FILMS – ARTE FRANCE CINÉMA
『アマンダと僕』日常が破壊された者たちに優しく寄り添う、ミカエル・アースの描くものとは。
フランス映画の伝統を継承したポスト・テロリズム映画
1975年2月6日にパリで生まれたミカエル・アースは、『アマンダと僕』で今日のパリを描くにあたって避けては通れない出来事、2015年11月13日に起こったパリ同時多発テロ事件を盛り込んでいる(撮影は実際にテロが起きたパリ11区と12区で行われた)。
テロ事件の後、ダヴィッドは姉の死の苦痛に対処しながら、父親になる準備ができていないにも関わらず、アマンダの世話を引き受けなければならなくなる。アマンダも母の死を受け入れられず、母が使っていた日用品が消えると不安に襲われる。彼女は、母の死の責任をどこかで自分自身に転嫁し、痛みを内に取り込んでしまっているかのようだ。生き延びたレナはトラウマを負い、街中で子どもたちが爆竹で遊んでいるとパニックに陥ってしまう。本作は、非日常的な理不尽な事態が日常化してしまった、混沌とした現在の世界を描いたポスト・テロリズム映画なのだ。
『アマンダと僕』(c)2018 NORD-OUEST FILMS – ARTE FRANCE CINÉMA
思えば、現在公開中のフランス映画『7月の物語』(16)もまた、2016年7月14日に起こったニーストラックテロ事件を物語に組み入れていた。実際に『7月の物語』の撮影中にそのテロ事件が起こったこと、そして当初は予定していなかったその要素を入れる決断に迷いながらも、映画に組み込んだことを監督のギヨーム・ブラックは明かしている。
テロ事件を現実として映画のなかに取り込むことは、いまを生きる映画作家の誠実な態度だろう。それは、若者たちの軽薄さや純真さを掻き消してしまうような深刻なものだからこそ、『アマンダと僕』や『7月の物語』では、そのかけがえのない呑気で無邪気な日常こそを大切に描いている。
また、本作は、陽光に照らされた夏の戯れを軽やかで素朴に描く(アース自身も敬愛する)エリック・ロメールのタッチや、同様に母を失った純真無垢な幼女を扱ったジャック・ドワイヨンの『ポネット』(96)を彷彿とさせる。
『アマンダと僕』(c)2018 NORD-OUEST FILMS – ARTE FRANCE CINÉMA
とりわけ、日常生活の些細な細部に注視して物語を構築し、過ぎ去っていく時間を捉えようとするまなざしは、『未来よ こんにちは』(16)のミア・ハンセン=ラヴと通じる感性を強く感じさせる(彼女の長編第3作『グッバイ・ファーストラブ』(11)に感銘を受けたアースが彼女に手紙を送り、それ以降ふたりは友人関係を築いているという。また、彼女の作品の編集を手がけているマリオン・モニエが『サマーフィーリング』『アマンダと僕』で編集を担っていることも見逃せない)。このように本作は、フランス映画の流れを確実に汲んでいる作品だとも言えるだろう。