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『アマンダと僕』日常が破壊された者たちに優しく寄り添う、ミカエル・アースの描くものとは。

(c)2018 NORD-OUEST FILMS – ARTE FRANCE CINÉMA

『アマンダと僕』日常が破壊された者たちに優しく寄り添う、ミカエル・アースの描くものとは。

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※2019年6月記事掲載時の情報です。


『アマンダと僕』あらすじ

夏の日差し溢れるパリ。便利屋業として働く青年ダヴィッドは、パリにやってきた美しい女性レナと出会い、恋に落ちる。穏やかで幸せな生活を送っていたがーー突然の悲劇で大切な姉が亡くなり、ダヴィッドは悲しみに暮れる。そして彼は、身寄りがなくひとりぼっちになってしまった姪アマンダの世話を引き受けることになる…。親代わりのように接しようとするが、まだ若いダヴィッドには荷が重く、戸惑いを隠せない。アマンダも、母親を失ったことをなかなか受け入れられずにいる。互いに不器用で、その姿は見ていてもどかしく、しかし愛おしい。悲しみは消えないが、それでも必死に逞しく生きようとするアマンダと共に過ごすことで、ダヴィッドは次第に自分を取り戻していく。


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愛する人の喪失とその後も続く人生を描く



 第31回東京国際映画祭でグランプリと最優秀脚本賞を受賞したミカエル・アースの長編第3作『アマンダと僕』は、不測の悲劇の渦中にある人々の痛みに真摯に寄り添う。現代のテロリズム──通り魔や地震などに置き換えることも可能だろう──に対して、憎しみを伴った報復や復讐を選択肢に考えない、日々のあり方を描く貴重で大切な映画だ。遺族や被害者が破壊された日常とどのように折り合いをつけて過ごしていくかに目が向けられ、個人が喪失から平穏を見出すまでの道のりや、人と人が支え合う可能性を探求している。


 物語は、パリに住む姉弟──英語教師で若いシングルマザーである彼の姉サンドリーヌ(オフェリア・コルブ)と、観光客向けアパートの管理や公園の木々の剪定など、便利屋をしている青年ダヴィッド(ヴァンサン・ラコスト)──の平凡な生活を軽やかに追いかける。ダヴィッドはサンドリーヌの頼みで買い物したり、姉の7歳の娘アマンダ(イゾール・ミュルトリエ)を学校まで迎えに行ったりしているなかで、パリに越してきたレナ(ステイシー・マーティン)との間にロマンスが芽生え始める。


 一方サンドリーヌは、アマンダとエルヴィス・プレスリーの歌を一緒に踊ったり、母娘二人で幸福に過ごしている。しかし笑顔にあふれる日々のなかで突如、公園がテロ攻撃に襲われ、サンドリーヌが亡くなり、レナも負傷してしまう。アマンダの最も近い親族であるダヴィッドは、身寄りがなくなった姪の面倒を見るべく、戸惑いながらも共同生活を始める。


『アマンダと僕』予告


 本作と合わせて、7月6日(土)より日本公開されるミカエル・アースの前作『サマーフィーリング』(15)もまた、婚約者が急死した後に遺されたボーイフレンドと彼女の妹をめぐる物語だった。彼らが少しずつ悲しみを受け止めていく様を3度の夏と3つの都市──ベルリン、パリ、ニューヨーク──を舞台にデリケートに描いていた(ニューヨークのパートには、『神様なんかくそくらえ』(14)『グッド・タイム』(17)の監督として知られるサフディ兄弟の兄、ジョシュア・サフディも出演している)。


 「不在」や「喪失」の主題は、ミカエル・アースが探求し続けているものであり、それによって傷を負った者たちへ長く襲いかかる「余波」と、拭い去ることのできない静かな深い苦しみに焦点をあてている。『アマンダと僕』では、それをさらに現代のテロ事件と結びつけているのである。



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