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『戦場のピアニスト』ゲットーを体験したポランスキーが映画化を望んだ理由

(c)Photofest / Getty Images

『戦場のピアニスト』ゲットーを体験したポランスキーが映画化を望んだ理由

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迫害の当事者が語る、稀有な「客観性」



 巨匠ロマン・ポランスキーは、あの時代を描くことを長年、避けてきた。ポランスキー監督は、幼い頃を、クラクフのユダヤ人隔離居住区で過ごした。両親は、絶滅収容所へと送られ、孤独な日々を生きたという。ポランスキーはゲットーを脱出し、戦場のピアニスト、すなわちウワディクのように、戦火のポーランドを生き延びたのだ。父親は助かったが、母親は収容所で他界したという。ウワディクとポランスキーとは、その当時、面識こそなかったものの、あの時代をともに駆け抜けた同じ背景を持っている。


 監督ポランスキーは、短編『Quand les anges tombent』(59)を唯一の例外として、迫害の恐怖に怯えたあの時代を、決して描くことはなかった。愛する母親を喪ったばかりでなく、自身の心にも大きな傷を刻んだあの戦争には、安易に触れるつもりはなかったのだろう。ホロコーストを描いた名作『シンドラーのリスト』(93)の監督オファーが舞い込んだときでさえ、彼はきっぱりと断っているほどだ。酸鼻を極める戦争が、幼いポランスキーに与えた影響は、あまりにも計り知れない。ポランスキーの記憶の奥底に眠る、向き合うことを避け続けた真実、それは、ウワディクの体験記との邂逅によって、再び目覚めることになる。



『戦場のピアニスト』(c)Photofest / Getty Images


 終戦後すぐに執筆されたウワディクの回顧録は、ホロコーストの被害者が書いたとは到底思えないほどの、驚きの中立的観点から書かれている。暮らしを奪われ、家族を奪われ、すべてを奪われたはずなのに、仇であるドイツ兵を完全なる敵としては描いていない。まして、同胞のユダヤ人だって、時には、鼻持ちならぬ描かれ方で活写されている。善と悪、陰と陽、光と影など、さまざまな対極関係の狭間、すなわち徹底した“客観性”を擁しているのだ。迫害の被害者である筈のポランスキー監督は、なぜ自身の体験談を描こうとはせず、なぜ彼は、ウワディクの回顧録を題材に選んだのだろう。全ての答えは、原作に見る“客観性”なのだ。


 監督は、過去の取材に対してこのように語っている。「彼の本には悪いポーランド人も出てくれば良いポーランド人も出てきます。ちょうどユダヤ人やドイツ人にも善人と悪人がいたように……。私は原作のそんなところに強く惹かれ、映画化しようと思ったのです」と。



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