あのキャラクターの役割と対決の完成
『ゴジラvsコング』でのゴジラが、人類への攻撃を始めたかのように見えたのには、もちろん理由があった。前作で倒されたギドラの骨格を密かに回収していた大企業エイペックスは、その頭蓋骨を使ってメカゴジラを開発していたのである。3つの頭を持つギドラは、頭同士がテレパシーで繋がっていたが、2つ一組の頭蓋骨を利用することによって一方の頭蓋骨を持ったメカゴジラを、もう一方の頭蓋骨から遠隔操縦しようというのだ。ゴジラはこのギドラの存在を感じ取ったことで、エイペックスの研究所のある都市を攻撃していた。
容易に想像できるように、このメカゴジラを真の敵として、ゴジラとコングは成り行きで共闘することになる。しかし、それは安易に勝負の行方を曖昧に濁したようなやり方ではないと個人的には思う。両者が海に落ち、両方の咆哮が聞こえて幕を閉じた旧作もうまい落ち着かせ方だったが、今回もメカゴジラを登場させることで、決定的な敗北を描くことなく、勝者を描いて見せたと思う。
コングはゴジラをすんでのところまで追い詰めていたメカゴジラに対し殴り込み、機械仕掛けの怪獣王もどきに対し戦いを繰り広げる。一度はダウンしていたコングを、人間たちが「ラスベガス一週間分」と言われるほどの膨大な電力による電気ショックで復活させるのだが、電気で力を得るのも旧作由来だろう(高圧電線を触ったコングが帯電体質になる)。目覚めたコングはゴジラ相手にも使っていた「ゴジラの同族の骨にその背びれが取り付けられた斧」によって善戦し、ついに文字通りメカゴジラの首を取る。
ゴジラそっくりの形をしたメカゴジラの両腕を遠慮なしに切り落とし、頭をもぎ取ってしまうというのは、カタルシスがあるのはもちろん、どこか擬似的なゴジラへの勝利にも見える。ここにメカゴジラの役割があったのではないか。またゴジラとしてはコングによって助けられた形にもなり、借りが出来たことに。どうやら今回はコングの方に軍配が上がったかもしれない。戦いが終わって海へと立ち去る前に、コングをただ見つめるでも睨むでもなく見据えていたゴジラの眼差しが、それを物語っているようでもあった。
旧作ではこの二体の戦い自体にどこか限界が感じられたものである。ゴジラは格闘向けにできるだけ腕を長く作られてはいたが、それでもはっきりとヒト型のキングコングに対して動きに制限があり、コングの方も岩を投げたり尻尾を掴んだりするのがせいぜいであった。今作ではその物足りなさを埋めて余りあるほどのアクションが描かれ、ここにおよそ60年越しに対決が完成したかのようだ。
2014年以来ムキムキのオヤジ体型がすっかり板についたゴジラは、コングに対して全くひけを取らない動きを見せた。特に海での戦いでは、船の上でなすすべもないコングに対し、海洋生物であることを嫌というほど思い出させる俊敏さで優位に立った。コングの方も船から船へと飛び移って攻撃を交わすのだが、空母の上に飛び移るコングを見てやはり思い出すのはTVシリーズ版「新世紀エヴァンゲリオン」の第8話「アスカ、来日」で、エヴァ弐号機が同じように艦船を足場に飛び移りながら海中を泳ぐ使徒と戦う様子がそっくりだった。あの戦いをハリウッドで映像化するとちょうどこんな感じなのかとも思ったが、特撮からの影響が多大なエヴァにあって、そもそも艦隊に運ばれる弐号機自体のソースのひとつに、キングコングがいるのかもしれない。そう思うと、オマージュというものは巡り巡っているようにも感じられる。
二大怪獣というだけでなく、生命と生命の戦いというような力強さを感じさせてくれる『ゴジラvsコング』。ぶつかりあう二体や破壊される建造物の迫力は、自分の中の活力さえもふつふつと呼び起こしてくれるようだった。本作が属するところであるモンスターバース・シリーズ、これで終わってほしくはない。白目をむいたままその後どうなったかわからないレン・セリザワの、再びの活躍にも期待である。
イラスト・文:川原瑞丸
1991年生まれ。イラストレーター。雑誌や書籍の装画・挿絵のほかに映画や本のイラストコラムなど。「SPUR」(集英社)で新作映画レビュー連載中。