映画『千夜、一夜』で田中裕子演じる登美子は、30年前に姿を消した夫を待ち続けている。30年もの間帰らぬ人を待っていると、人はいったいどうなるのだろうか。その答えがこの映画の中にある。映画の中の田中裕子の佇まいは、本当に30年待ち続けている人にしか見えない。普通にそこにいるだけの田中裕子にただただ圧倒されてしまう。本作を手掛けたのがドキュメンタリー出身の久保田直監督というのも非常に興味深い。久保田監督は田中裕子をどう捉えたのか?話を伺った。
『千夜、一夜』あらすじ
北の離島の美しい港町。登美⼦の夫・諭が突然姿を消してから30年の時が経った。彼はなぜいなくなったのか。⽣きているのかどうか、それすらわからない。漁師の春男が登美⼦に想いを寄せ続けるも、彼⼥は愛する⼈とのささやかな思い出を抱きしめながら、その帰りをずっと待っている。そんな登美⼦のもとに、2年前に失踪した夫を探す奈美が現れる。「理由が欲しいんです。彼がいなくなった理由。自分の中で何か決着がつけられればって」彼⼥は前に進むために、夫が「いなくなった理由」を探していた。奈美が登美子に問いかける。「悲しくないですか?待ってるのって」「帰ってこない理由なんかないと思ってたけど、帰ってくる理由もないのかもしれない」と登美子。しばらくして、奈美は新しい恋人ができたため、夫・洋司と離婚したいという。そんなある⽇、登美⼦は街中で偶然、失踪した洋司を⾒かけて…。
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全て脚本通りの田中裕子
Q:本作観賞後しばらくは、登美子演じる田中裕子さんの姿が頭から離れませんでした。本当に30年間待っている人間としてそこにいたようにしか見えない。田中裕子さんとはどのようなことを話して撮影に臨まれたのでしょうか。
久保田:今回の役に関していうと、裕子さんとは特に話はしていません。脚本に対する質問があった場合は答えましたが、それ以外は特に打合せなどはしませんでした。裕子さんは脚本を何度も繰り返し読まれていて、それが全部染み付いていくような感じがあるんです。今回は主演でほぼ出ずっぱり、セリフもたくさんあるのですが、脚本と一言一句違わず演じられるんです。脚本を何度も読み込んでいく中でリズムや空気感のようなものが生まれて来て、それを裕子さんが纏っていくんでしょうね。だから仮にアドリブで語尾を変えてしまうと必然的にリズムも変わってくる。そうするとその行間にあるものも違ってくる。だから全て脚本通りなんです。
クラインクインの際、裕子さんがどういう空気感でどういう声を発するのか、ものすごくドキドキしながら見ていたのですが、「あっ!もう間違いない」と直感的に思いました。何とも言えない淡々とした空気で、これこそ登美子だなと。僕が入る余地はほとんどなかったような感じでした。
『千夜、一夜』©2022映画『千夜、一夜』製作委員会
Q:田中裕子さんは俳優としての職業を超えた凄まじさを感じます。例えるなら、プロフェッショナル中のプロフェッショナルという感じなのでしょうか。
久保田:もちろんプロフェッショナル中のプロフェッショナルであることに間違いないのですが、多分ご本人はそういう意識じゃない気がしますね。そういう風に思ってお仕事をされてるような感じはしない。その都度もがいて、その都度役に入り込んでいっている。プロだからやるというような感覚ではないんだろうなと思います。
Q:現場ではリハーサルをしたりテイクを重ねるようなことはあったのでしょうか。
久保田:前作『家路』(14)と同じ撮り方なのですが、一つのシーンで撮影するカットは全てマスターショット*として撮らせてもらっています。つまり一つのシーンで5カット必要だった場合は、その5カット(5つのアングル)全てを最初から最後まで一連で撮る。これはスタッフやキャストにはすごく迷惑な話なので、事前にお願いして皆さんに了承いただいた上でこの方法でやらせてもらっています。更にリハーサルは一切せずに最初からテストなし本番という形で撮らせてもらいました。
ただし、事前に「一度動いてみる」ということはやっています。僕とカメラの山崎裕さんでその動きを見ながら「ここはこういう感じだね」と一応カット割りをするんです。僕と山崎さんのカット割りはほぼ一致していて、僕が最初に「こういう感じでいきたい」と言うと「そうだよな」となることが多かったですね。
*マスターショット :一つのシーンで基本となるショット(カット)
Q:それだけの量を全て一連で撮るとなれば、テイクを重ねることは難しそうですね。
久保田:もちろん納得がいくまでテイクは重ねますが、演技もカメラワークも皆素晴らしかったので、テイク1でOKが出ることが多く撮影は割と早かったと思います。ただ別カットでも一連で撮るのでそこは時間がかかりましたが。