ケイコとして存在する
Q:口に出して言うセリフがほぼない役でしたが、演じてみていかがでしたか。
岸井:口語としてのセリフが無いことに対して「セリフがないと難しいでしょ?」といろんな現場で言われました。でも実際のボクシングの試合にも言葉はないんです。オリンピックやサッカーも同じ。それでも確実に惹きつけられ、伝わるものがある。その事実があるから、必ずしも言葉で説明しなくても表現は可能だと思いました。言葉を使わないんだったら身体を使って感じればいい。観客は本当の試合で起こっていることを感じることが出来る。同じように私がカメラの前でケイコとして存在することが出来れば、きっと何か伝わるものがある。
それでも最初にお話を頂いたときは、「えっ!口語としてのセリフは無しですか⁉︎」「どうしよう…」という気持ちはありました。その後、三宅さんに監督が決まってからは、監督はじめ周りのスタッフの皆さんが心強くて、徐々に大丈夫な気がしてきました。私がケイコとして存在することが出来れば、このチームは絶対にそれを捉えてくれる。そういう信頼関係を感じていました。
『ケイコ 目を澄ませて』岸井ゆきの
Q:セリフがないと脚本を書くことも大変そうですが、影響はありましたか。
三宅:恥ずかしながら、僕は今まで聾唖の方の生活を身近で接した経験がなかったので、今回は取材を重ねて様々な方にお会いしました。コミュニケーションを取る方法は、手話通訳の方のたくさんお世話になりましたが、文字を書いて伝え合った時もあるし、無言の表情で何かを確認しあえる瞬間もあったし、いろいろな方法がある。「大変」という言葉が出てきてしまうのは、やはりどこか、自分と違う者として恐れているからだと思うんです。でもそこさえ突破すれば、とても自由な関係が広がってくる。それを今回教わりました。だから、大変と思ったことは一度も無かったですね。
たぶん岸井さんも、その辺を恐れることなく直感的に、相手を信じることが出来たと思うんです。いや、もしかしたら、そういう恐れをとことん見つめた上で、自由な存在であるケイコを体現したようにも思います。