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『ザ・ホエール』、肉体の極限を見せるようで【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.25】

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『ザ・ホエール』、肉体の極限を見せるようで【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.25】

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 まず、とにかくブレンダン・ブレイザーのカムバック作なんですよ。噂には聞いてたけど、実際に見て、腰を抜かしそうになりました。『ハムナプトラ』シリーズはテレビで何度も吹き替え版が放送されて、人気があります。あの映画で主人公、リック・オコーネル役を演じた精悍な俳優こそブレンダン・ブレイザーです。しばらくキャリアのブランクがあって、メンタルヘルスに問題を抱えていたそうなんですね。ハリウッドのトップスターも、スポーツ界のヒーローも生身の人間である以上、色んな形でブランクを余儀なくされます。とにかくブレンダン・ブレイザーはこの作品で映画の晴れ舞台に戻ってきたんです。僕はミッキー・ロークが『レスラー』(08)でカムバックしたのを思い出した。


 で、挑んだのが難役です。余命わずかな体重272キロの男。映画タイトルの『ザ・ホエール』(22)は作中、重要なモチーフになるメルヴィルの『白鯨』(エイハブ船長と白鯨モヴィ・ディックの死闘が描かれた古典的名作)にも関連するけれど、より具体的には体重272キロの男、チャーリーの体型のイメージですね。直接的な比喩です。鯨みたいに太ってしまって、死にそうになってる男。モヴィ・ディック級の「モンスター」。そういうことだと思います。が、物語はチャーリーを「モンスター」のままにはしない。なぜ彼は272キロの巨漢になってしまったのか、彼の望みは何か。それが次第に明らかになります。


 映画のトップシーンでとにかく僕は腰を抜かしそうになったんですよ。これは書かないほうがいいかな。フツーはネタバラシって映画の後半部分(クライマックスやオチ等)に気をつけるんだけど、これね、冒頭が強烈なんですよ。まぁ、ひきこもって暮らしてるチャーリーのアパートに訪問者があって、うっかりチャーリーのプライベートな部分を目撃してしまうと思ってください。チャーリーも驚く。訪問者も驚く。映画上はそこで「体重272キロの死にそうな男」を観客に提示するんです。さすが本年度アカデミー賞メイクアップ&ヘアスタイリング賞受賞(エイドリアン・モロット)の技術の粋ですよ。本当に「体重272キロの死にそうな男」が映画に登場する。



『ザ・ホエール』 © 2022 Palouse Rights LLC. All Rights Reserved.


 この作品はサミュエル・D・ハンターの戯曲作品がもとになってるそうです。オフ・ブロードウェイで掛かってたということなんだけど、見せ方はどっちが難しいかなぁと考えました。舞台の芝居は「そういう約束事なんですよ」というのを示すと観客はそのつもりで見てくれますね。新劇はかつて「赤毛もの」と呼ばれた翻訳劇を上演しましたが、日本語のセリフを言う、どこからどうどう見ても日本人の役者のことを、西洋人のカツラひとつで例えば「ヴェニスの軍人オセロ」と見立ててもらうわけです。「そういう風に見てくださいね」「そういう風に見ましょう」という演出側と観客との結託がある。つまり、演劇の『ザ・ホエール』は実際に体重272キロなくても(そう見えなくても)成立するわけです。寛衣を着て「自分は太っている。体重272キロだ」とセリフで言うだけで約束事は成立すると思う。


 その点、映画は具体的に見せる必要がありますね。約束事だけだと「そういう風に見てくださいね」「とてもそうは見えない」ってことになっちゃう。特殊メイクやCGが発達するわけだし、あるいは『レイジング・ブル』のロバート・デ・ニーロのように役者が実際に太ったり痩せたりして頑張ることになる。体重272キロのチャーリーをつくりものでなく、生きて悩みを抱えるリアルな人間に見せるためには主演のブレンダン・ブレイザーの演技力と高度な造形力やメイク技術が必要です。アカデミー賞2部門受賞(前述のメイクアップ&ヘアスタイリング賞に加えて、主演男優賞!)も納得ですよね。


 あと興味深い論点としては「ファットスーツ」問題があります。舞台でも映画でも、チャーリーを演じる役者が相撲コントで使うような肉襦袢を着たとして、それは差別的な表現ではないのか。特に映画『ザ・ホエール』は驚異的な再現度でチャーリーの272キロの肉体を見せます。まさに「アカデミー賞級のファットスーツ」でもあり得る。読者は「ブラックフェイス」をご存知でしょうか。元々はミンストレルショー(19世紀、アメリカで流行った演芸)で白人の演者が顔を黒く塗って、「滑稽な黒人」を演じたものだけど、現在は差別表現としてタブーとなっています。さて「ファットスーツ」は「ブラックフェイス」と何が違うのか。僕はたぶん紙一重だと思います。


 もしも『ザ・ホエール』が「体重272キロの死にそうな男」を滑稽なものとして、あるいは見世物のように描いていたら、どれだけ驚異的なメイク技術を施していようとこれだけ世界の賞賛は浴びなかったと思うんです。アカデミー賞級であったとしても「ファットスーツ」だと思うんです。『ザ・ホエール』は肉体の極限を見せるようでいて、人の心の映画です。そこがポイントです。だからこそ観客の胸を打つ。僕も刺さりました。チャーリーを他人とは思えなくなりましたよ。



1959年生まれ。秋田県出身。中央大学在学中の1980年に『宝島』にて商業誌デビュー。以降、各紙誌にコラムやエッセイを連載し、現在に至る。ラジオ、テレビでも活躍。 Twitter @ichiroenokido



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『ザ・ホエール』
4月7日 (金) TOHOシネマズ シャンテ他全国ロードショー
配給: キノフィルムズ
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