(C)MINISTRY OF CULTURE AND INFORMATION POLICY OF UKRAINE, 2020 – STEWOPOL SP.Z.O.O., 2020
『キャロル・オブ・ザ・ベル』、弱き者は助け合うしかない【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.31】
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これはものすごくシンプルなことを言ってる映画だと思うんです。メッセージは誰にでもわかることだ。戦争反対。戦争の悲惨さ、そこに巻き込まれた家族の過酷な運命を描いた映画です。オレシャ・モルグネツ=イサイェンコ監督は「女性や子供は常に戦争の人質」という言い方をされています。それは本当にそうですよね。『ひまわり』(70)でも、『禁じられた遊び』(52)や『アンネの日記』(59)でも、あるいは『火垂るの墓』(88)でも、戦争によって運命を狂わされる女性と子供の物語は枚挙にいとまがありません。だから、言ってることはとてもシンプルなのです。『キャロル・オブ・ザ・ベル 家族の絆を奏でる詩』(21)は劇中の女性や子供にグッと感情移入することになります。
で、それは間違いないんですけど、話自体がシンプルかというと(特に島国日本で暮らしてきた僕らには)シンプルとは言い難いんですね。ものすごく簡単なことを言ってる映画なのに、ものすごく複雑なことになっている。それは20世紀ヨーロッパの歴史、地理がピンと来ないせいですね。
そもそも物語の起点が「1939年1月、ポーランドのスタニスワヴフ(現ウクライナ、イバノフランコフスク)」というのがピンと来ない。そこはポーランドなのかウクライナなのか。ポーランドだったところがウクライナになったのか。調べてみると「スタニスワヴフ」って名称自体がこの年、ソ連によって改名されたものなんですね。それ以前、中世からの名称は「スタニラヴフ」でした。で、戦後になってウクライナ作家、イヴァン・フランコにちなんで「イバノフランコフスク」に改名されている。歴史的にはウクライナ人、ポーランド人、アルメニア人、ユダヤ人が住む街だった。ポーランド王の認めた自治領になったり、オーストリア帝国の領土になったり、西ウクライナ人民共和国になったり、ポーランドになったり、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国の領土になったり、ナチスドイツに占領されたり、ソ連軍に再占領されたり、独立にともなってウクライナになったりした。頭が混乱しますね。
非常にざっくりした言い方をすると、ドイツとロシアという強国に挟まれた街の複雑さなんですね。日本は四方を海に囲まれ、(大陸や東南アジアへ進出したことはあっても)軍事侵攻され、占領されるイメージが持ちにくい。まぁ、終戦後、米軍の進駐を受けた経験はあるけれど、ポーランドやウクライナとはちょっと違いますね。ポーランドとウクライナは膨張的野心を持った強国にとって「通り道」に所在するんです。特にこの映画の時代、ナチスドイツとソ連に挟まれた困難さは想像を絶します。「占領」「再占領」って悲劇そのものですよね。
ただまぁ、そういう説明は上から目線っていうか俯瞰的ですよね。地政学で片づけられたら当のその街で暮らしている人々はたまったもんじゃない。地政学では「強国に挟まれた」地域かもしれないけど、その人にとってはかけがえのない故郷だし、我が家ですよ。
『キャロル・オブ・ザ・ベル』(C)MINISTRY OF CULTURE AND INFORMATION POLICY OF UKRAINE, 2020 – STEWOPOL SP.Z.O.O., 2020
その「占領」「再占領」の悲劇の実際はどうだったか。『キャロル・オブ・ザ・ベル 家族の絆を奏でる詩』は(副題の通り)ひとつの「家」を通して描くんです。そこはユダヤ人の家族が暮らす家でした。やがてポーランド人、ウクライナ人の2家族が店子としてやって来ることになります。映画はこの民族の違う3つの家族の絆を描いていきます。最初は宗教や習慣の違いがあるんですけど、ひとつの「家」で暮らすうち互いに寛容さを身に着けていく。3つの家族をつないでいったのは音楽でした。ウクライナ人の家族は音楽家だったんですね。この映画を見た人はウクライナ人家族の娘、ヤロスラワの歌う民謡「キャロル・オブ・ザ・ベル」(ウクライナ語では「シェドリック」)に魅了されると思います。
が、強国の脅威がやがて押し寄せてきます。3つの家族には酷い運命が待ち受けている。ナチスドイツはもちろん最悪ですが、それを押し返したソ連も最悪です。「占領」「再占領」って何なのかといえば、戦争と抑圧が故郷に、我が家にやって来ることですよ。戦争と抑圧のなかで3つの家族は涙ぐましい紐帯を見せます。弱き者は助け合うしかない。3家族には娘がいるんですが、本当の姉妹のように慈しみ合う。この先のストーリーは内緒にしておきます。果たして彼ら彼女らは生き抜いたのか。また一緒に歌う日が来るのか。
最後になりますが、2022年2月に始まったロシアによるウクライナへの軍事侵攻のことに触れさせてください。『キャロル・オブ・ザ・ベル 家族の絆を奏でる時』は2021年クランクアップの作品だそうです。つまり、(既に2014年、ドンバス地方の「ウクライナ紛争」が起きていたとはいえ)直接の関連性はありません。だけど、この映画を見て、ロシアの軍事侵攻を連想しない人はいないでしょう。僕は先日、NHKスペシャル『戦火の放送局 ~ウクライナ 記者たちの闘い~』を見たんですが、ウクライナ公営放送のスタッフが「(ロシアの軍事侵攻以前は)自分はジャーナリストとしてシリアなどへ赴き、取材してきた。今は戦地へ赴く必要がない。窓の外に目をやるだけ。戦争がこの街へやって来たんです」とコメントしていたのが忘れられません。『キャロル・オブ・ザ・ベル 家族の絆を奏でる詩』は今、大切なことを僕らに伝えてくれます。
文:えのきどいちろう
1959年生まれ。秋田県出身。中央大学在学中の1980年に『宝島』にて商業誌デビュー。以降、各紙誌にコラムやエッセイを連載し、現在に至る。ラジオ、テレビでも活躍。 Twitter @ichiroenokido
『キャロル・オブ・ザ・ベル 家族の絆を奏でる詩(うた)』
7月7日(金)新宿武蔵野館、シネスイッチ銀座、アップリンク吉祥寺ほか全国公開
配給:彩プロ
(C)MINISTRY OF CULTURE AND INFORMATION POLICY OF UKRAINE, 2020 – STEWOPOL SP.Z.O.O., 2020
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