やり方は何でもいい、自分がやるだけ
Q:今回は通常の製作委員会方式ではなく、千原監督がプロデューサーや製作(出資)も担っています。その辺はどう作用しましたか?
千原:製作委員会では興行視点の意見ばかりが出てくるのですが、映画自体が完成してから製作委員会ができたので、健全な意見交換ができたと思います。
Q:当初は通常の製作委員会方式で動こうとされたとか。
千原:最初はやり方がわからないので、知り合いの映画プロデューサーに相談したんです。すると「まずは製作委員会を作るというところから始めましょう」と。それで、映画の製作委員会経験が豊富な会社を集めてくれたんです。その座組みで始めてみたものの、委員会から出てくる意見に答える作業がとにかく苦しかった。ようやく自分の夢に向かって映画を作るぞ!となったときに、「AじゃなくてBの方が観客に受けるよ」とか、「主題歌は今流行ってるこの人がいいんじゃない?」とか、「もうちょっと泣けるように脚本を書き変えない?」とか、「カメラマンはこの人はどう?」とか、とにかく色んな意見が出てくる(笑)。しかも何をやるにも製作委員会を通さないと前に進まない。最初は「わかりました」って聞いてたんだけど、作りたい映画を作っているのではなく、映画を作るための映画を作ってる感覚になってきて、なんかもうどっちでもいいかな、ってなってしまった。自分がOKを出す前にどんどん進められている感じもあり、「これをやるために映画作りを決意したのか?」と。
『アイスクリームフィーバー』千原徹也監督
Q:だったら自分で出資しようと。
千原:自分でお金を集めようって気持ちになりました。映画を作るために、アルバイトしてお金を貯めてもいいかもしれないし、お父さんお母さんに借りてもいいのかもしれないし、友達に借りてもいいかもしれない。とにかく製作委員会という形式ではなく、新しいお金の集め方を始めました。
Q:一つの作品でプロデューサーと監督の両方をやる人は、日本では多くはいません。それは仕事の内容が全然違うからだと思っていました。今のお話を伺うと、今回千原さんが兼任されているのは、自然な流れだったのかと納得しました。
千原:そうですね。プロデューサーと監督を兼任されている方は、あまり周りにいないから遠慮していましたが、もうやっていくしかなかった。俳優のMEGUMIさんも、自身で映画やドラマをプロデュースされていて、「自分が主演の映画が無いなら、自分で主演映画を作るしかない。オファーされないんだったらそうするしか無いよね」と、そんな話をしてくれたんです。映画監督をやりたいんだったら、話が来るのを待ってるだけじゃ埒が明かない。もう自分で前に進めるしかなかったんです。
Q:「全て自分でやるぞ」と、決断されたきっかけはあったのでしょうか。
千原:コロナ禍になって、さまざまな理由で当初の製作委員会が解散になった。そのときはすごく辛かったですね。相談を始めてから既に2年くらい経っていて、キャストをこうしようとか、脚本をこう変えようとか、製作委員会から出てくるいろんな意見に答えながら進んでいたので、「なんだったの?この2年は」と…。でもそれが、「いや、この2年取り返して、絶対に作ったる!」という気持ちに切り替わりました(笑)。
『アイスクリームフィーバー』©2023「アイスクリームフィーバー」製作委員会
次の日からはその決意のような感じで、知り合いの会社の社長さんや、普段仕事を一緒にやっている仲がいいクライアントなどに、「映画を作りたいんだけど、手伝ってくれませんか」と連絡してプレゼンしてまわりました。普段から映画の出資をしている会社だと、初監督の僕になかなか出資が難しいだろうと思ったので、広告の仕事で僕のことを信じてくれている方に相談したんです。「猿田彦珈琲」さんや「アダストリア」さんなど、社長に直談判しました。映画とコラボした広告を僕がプロデュースして、アートディレクションするので、コラボで映画の費用を出して欲しいと。そうやって話をしてお金を集めていきました*。
*現在の「アイスクリームフィーバー製作委員会」は、宣伝のタイミングで集まった会社がほとんど。
Q:冒頭に伊丹十三の話をしましたが、伊丹さんも同じですよね。自分の妻である宮本信子はとてもいい俳優なのに主演の話が全く無い、だったら自分で作るしかないと映画を作り始めた。また、自分が出演していたCMの会社の社長に相談して、映画に出資してもらったというエピソードもあります。
千原:そうですね。伊丹さんもグラフィックデザインをやっていた人だし、ATGのロゴなんかも伊丹さんのデザイン。映画監督として伊丹さんが『お葬式』を撮り始めたのは50歳なので、自分も50歳になったら映画を撮りたいとずっと憧れていました。だからやり方はなんでも良いんです。最終的なゴールは映画館で流すことなので、そこに向かう道はなんでもいいんだと、一度製作委員会が解散した時に開き直りました。