脚本家として監督である自分に“あてる”こと
Q:主人公たちが住む世界の複雑な状況について、劇中で直接的な説明はなく、物語の進行に沿って徐々に理解できていくしくみになっています。状況がかなり複雑なだけに、脚本の塩梅は相当難しかったのではないでしょうか。
岡田:本当に難しくて、すごく悩みました。それこそSF色が強かった時期からファンタジー色が強くなった時期まで、紆余曲折して稿を重ねました。そうやって何稿も書いているので、最終稿では尺がすごく長くなってしまい、「切ったら分からなくなるのでは…」と怖くなっていたんです。でもその頃には、同時進行で進んでいた画が出来てきて、「あ、この表情ひとつあれば、説明シーンをいれなくても大丈夫かも!」ということも分かってきた。それはめちゃくちゃ勇気になりましたね。複雑に見えて、シンプルすぎるほどシンプルな物語なんです。
アニメの場合は、作品の圧力ってやっぱり映像なんです。そこに皆がどれくらい熱を持っているのか。ビデオコンテの段階から見ていると、画に宿ってくる瞬間に出会えるんです。「なんかこれ宿り出したぞ…!」って(笑)。「アニメって本当に面白いなぁ」ってしみじみ思いました。
『アリスとテレスのまぼろし工場』©新見伏製鐵保存会
Q:稿を重ねるごとにスタッフにも意見を聞いたのでしょうか。
岡田:これまでの私は、脚本家として監督に“当てていく”ということをずっとやってきました。原作モノでもオリジナルにしても、監督が何を求めているのか、監督のビジョンは何かを踏まえて、そこにぶつけていく。フワっとしているものをハッキリさせるような、刺激する役割が脚本家にはあると思っていました。ただ、今回の監督は自分自身なので、自分に当てていくことの難しさがありました。それで最初は皆に読んでもらい、意見をもらいながら書いていましたが、皆さん優しくて辛辣なことを言う人があまりいない(笑)。それでますます悩んでしまうこともありましたが、皆の意見を色々と聞いていると、説明や設定に囚われていたときの稿よりも、素直に感情を動かしていたときの稿の方が評判が良いことが分かってきた。そこは皆のおかげでしたね。色々とカタチを探っていけたと思います。