トラン・アン・ユンと料理映画の相性の良さにまず驚かされる。次々と生み出されていくフランス料理を丁寧に捉えていく流麗なカメラワーク。ブノワ・マジメルとジュリエット・ビノシュが調理する鮮やかな手つきには官能性すら漂う。映画を支配する抑制された上質な空気は、まさにトラン・アン・ユンの世界。本作でカンヌ国際映画祭最優秀監督賞を受賞したことも納得の出来映えだ。トラン・アン・ユンはいかにして本作を作り上げたのか? 来日した本人に話を伺い、その創作の秘密に迫った。
『ポトフ 美食家と料理人』あらすじ
〈食〉を追求し芸術にまで高めた美食家ドダン(ブノワ・マジメル)と、彼が閃いたメニューを完璧に再現する料理人ウージェニー(ジュリエット・ビノシュ)。二人が生み出した極上の料理は人々を驚かせ、類まれなる才能への熱狂はヨーロッパ各国にまで広がっていた。ある時、ユーラシア皇太子から晩餐会に招待されたドダンは、豪華なだけで論理もテーマもない大量の料理にうんざりする。〈食〉の真髄を示すべく、最もシンプルな料理〈ポトフ〉で皇太子をもてなすとウージェニーに打ち明けるドダン。だが、そんな中、ウージェニーが倒れてしまう。ドダンは人生初の挑戦として、すべて自分の手で作る渾身の料理で、愛するウージェニーを元気づけようと決意するのだが ── 。
Index
余白から生まれる即興と発見
Q:料理についての映画を撮りたいと思った、きっかけを教えてください。
ユン:料理のプロジェクトはこれだけではなく、アメリカや日本で撮るものや、食いしん坊な人の企画などもあったのですが、今回この作品に着地したのは偶然なんです。一番やりたかったことは芸術の映像化。料理はとても具体性のある芸術で、色んな素材を素晴らしい一品に仕上げるアートの縮図みたいなもの。今回は料理芸術に焦点を当てました。
Q:料理という行為をとても官能的に捉えていた印象がありました。
ユン:映画とは、言葉や具体性のあるアイデアを体現するインカーネーション。今回俳優は料理人を演じるわけで、数え切れないほどの体の動きが必要となります。そこにカメラワークが関わってくる。それらが交わることで、振り付けされたバレエを一緒に演じているような、一つのハーモニーが生まれるんです。また、ハーモニーはストーリーの中にも存在します。演出としてのハーモニーとストーリーとしてのハーモニー、それらが絡み合うことにより醸し出される官能性を、観客に感じてもらえればと思いました。人間の営みの中で最も官能的な行為は、食べることとセックスをすること。それを具体的に、西洋梨のコンポートと、ウージェニーの裸体の二つで表現した部分もあります。
今回はカメラワークが非常に複雑でした。とても流暢に見えるのは、俳優には自由に演技をしてもらいつつ、一番いいタイミングやアングルをカメラで追いかけたから。私はステディカムの後ろでカメラマンの腰を持ち、その場で動きを誘導していました。カメラの動きは事前に作り込まず、あくまでも俳優の動きありきにしたのです。そうやって余白を残すからこそ、即興と発見の余地が出てくる。しなやかさもそこから生まれてくるんです。
『ポトフ 美食家と料理人』(c)2023 CURIOSA FILMS- GAUMONT - FRANCE 2 CINEMA
Q:一方で『青いパパイヤの香り』(93)のときのような“匂い立つエロティックさ”は抑えられている印象でした。「人生の秋を迎えた」というセリフもありましたが、エロティックさは変容しているのでしょうか。
ユン:映画で官能性を描き出すのはなかなか難しいことで、今回は人間の美しい精神性を含めた上での官能性を目指しました。ドダンとウージェニーがお互いの話に耳を傾けることにより、穏やかなハーモニーが生まれ、そこに官能性が発生する。「食べているところを見ていて良い?」というセリフがありますが、このフレーズ自体とてもエロティックですよね。例えば私が今あなたに「あなたが話している様子をずっと見ていてもいいですか?」と言ったら、そこにはエロティシズムが生まれると思うんです(笑)。それはとても繊細で微細なものですが、観客には100%感じ取ってもらえると思います。