©Hangzhou Enlightenment Films
『西湖畔に生きる』グー・シャオガン監督 伝統と現代を追求する「山水映画」があばく人間の欲望 【Director’s Interview Vol.436】
前作よりもエンターテインメントに
Q:前作を観ている観客ほど、おそらく今回の作風に驚かされると思います。「犯罪映画」というジャンルに舵を切り、エンターテインメント性を相当意識されたのではないかと思いました。
グー:『春江水暖』はインディペンデントな作り方でしたが、『西湖畔(せいこはん)に生きる』は製作規模が大きく、ウー・レイやジアン・チンチンというスター俳優にも出ていただきました。映画づくりを現在も学んでいる人間として、こうした商業映画に挑戦したいという思いもがあったんです。『春江水暖』は「山水」を使ってひとつの映像言語を追求した映画でしたが、本作は「山水」をひとつのジャンルとして追求する映画。ジャンルとして成立させるには芸術性だけでなく、商業性や娯楽性も不可欠だと思います。私は是枝裕和監督をとても尊敬しているのですが、彼の映画は娯楽性と芸術性、美学を兼ね備えていますよね。
『西湖畔に生きる』©Hangzhou Enlightenment Films
Q:本作は、釈迦の⼗⼤弟⼦である目連が地獄に落ちた母親を救い出す仏教故事「目連救母」にもヒントを得ています。これと「山水映画」のコンセプト、さらに現代の犯罪映画という一見バラバラな3つの要素を、いかにエンターテイメントとしてまとめあげていったのでしょうか。
グー:山水映画で、テーマである「伝統」と「現代」を描くため、本作では「目連救母」を使いました。美しい山水は神話の「神」を示していますが、マルチ商法は「地獄」を表す現代的なテーマ。今の中国で流行っているのはネット詐欺で、いまやマルチ商法は特別に流行しているわけでもないのですが、それでも現代を描くうえでマルチ商法がふさわしいと思ったのは――実際に私の家族がマルチ商法に引っかかったというきっかけもありましたが――この題材ならば人間の性(さが)を深く描けると考えたからでした。
母親のタイホアは、現代という欲望にまみれた文明のなかで自分を見失います。本作では、ひとりの人間のなかに「真」と「偽」があるとして、その「偽」から「真」へといかに戻ってゆくのかを描きたかった。言いかえれば、人の心にある「神」的な部分と「魔」の部分を、山水とマルチ商法を組み合わせることで掘り下げたいと考えたのです。杭州の茶畑は美しい山水に囲まれ、神話に登場する天国のよう。かたや、都会の町は欲望そのものを象徴しているかのよう。天国と地獄の衝突、神聖さと現代性の衝突が大きなテーマでした。