©Hangzhou Enlightenment Films
『西湖畔に生きる』グー・シャオガン監督 伝統と現代を追求する「山水映画」があばく人間の欲望 【Director’s Interview Vol.436】
マルチ商法の世界を体験する
Q:タイホアがマルチ商法に接触するあたりから、映画のトーンやリズムも急激に変化しますね。序盤の静謐なリアリズムを離れて、非常に劇的でドラマティックな作風になっていきます。
グー:それは山水映画と犯罪映画を融合させたからですが、実際のマルチ商法がドラマティックかつ扇動的だからという理由もあります。人間の「魔」の部分を映像で表現するには、やはりマルチ商法の地獄をきちんと描かなければなりません。山水の視点から映画を撮ると、客観的な、いわば神の視点から人々の営みやマルチ商法に落ちる人を観察することになる。それも山水映画には必要なので、映画の前半はそちらを採用しましたが、今回は人間の視点からマルチ商法の地獄を描く必要もあると感じました。観客にはタイホアたちとともにマルチ商法の世界に入り、コントロールされていく人間の精神を解剖してもらいたかった。「観察する」のではなく「体験する」映画にしたいと思い、意図的に構成や撮り方を変えています。
『西湖畔に生きる』©Hangzhou Enlightenment Films
Q:劇中のマルチ商法は「家族」という虚構を提示します。会員は互いを家族のように扱いますし、勧誘のために「成功すれば素晴らしい家族になれる」というフィクションを見せてお金を騙し取る。伝統的な家族像をシニカルに見ているように感じたのですが、これも「伝統」と「現代」の捉え方のひとつと考えていいのでしょうか?
グー:マルチ商法における家族の虚構を描いたのは、「伝統」と「現在」というよりも、集団がはらむ闇を表現したいと思ったからです。中国社会の集団では、たとえ義兄弟でなくとも相手を「兄さん」と呼んだりするように、他者を家族のように呼ぶことがあります。マルチ商法においては、そういう虚構がチームの雰囲気を作り出し、人々をより洗脳しやすくするのです。
マルチ商法は家族を利用することで人を感情的に束縛していきます。会員は、最初こそお金のためだと思っていても、次第に別の目的にシフトしていくんですね。自分の価値を上げたい、他人から承認されたい、家族にもっといい生活をさせたい……そのために、最後は本当の家族さえ騙してしまうことにもなるわけですが。