
向かって左からオーブリー・“ポー”・パウエル、アントン・コービン (c)Anton Corbijn
『ヒプノシス レコードジャケットの美学』アントン・コービン監督 ヒプノシスが持つ強烈なアイデア【Director’s Interview Vol.475】
オランダ出身の才人アントン・コービンはクリエイターとしてさまざまな分野で活躍してきた。ロック・フォトグラファー、ミュージック・ビデオの監督、コマーシャルの仕事、グラフィック・デザイナー。そして、劇映画の監督としては、英国のバンド、ジョイ・ディヴィジョンのイアン・カーティスの短い生涯を描いた『コントロール』(07)が高い評価を受け、その後はジョージ・クルーニー主演の『ラスト・ターゲット』(10)やフィリップ・シーモア・ホフマン主演の『誰よりも狙われた男』(14)といったスリラー、また、若き日のジョームズ・ディーンとカメラマンの関係を描いた『ディーン、君がいた瞬間(とき)』(15)などで確かな演出力も見せた。
そんなコービンが新たに手掛けたのがドキュメンタリーの『ヒプノシス』。60年代後半に活動をはじめ、70年代に大きな影響力を誇ったレコード・ジャケットのデザイン集団、ヒプノシスの活動をふり返ったモノクロの作品。天才肌のストーム・トーガソンと写真の技術を持つオーブリー・“ポー”・パウエル。このふたりの活動を軸にロックのアルバム・ジャケットが創造的な意味を持った時代がスリリングに描かれる。
ピンク・フロイド、レッド・ツェッペリン、10ccといったバンドのメンバーやポール・マッカトニー、ピーター・ガブリエルらもコメンテイターとして出演し、この世紀のクリエイティブ集団のワイルドな創造の秘密に迫る。
※本記事はコービンへの本サイト独占のメール取材に加えて他媒体(Collider、Hammer to Nail)に掲載された取材を海外エージェントの許可を得て再構成したものです。
Index
青春時代、ヒプノシスとの出会い
Q:『ヒプノシス』は非常に刺激的なドキュメンタリーですが、どういう経緯で今回の映画に関わりましたか?
コービン:オーブリー・パウエルは、仲間の間ではポーと呼ばれていますが、そのポーが私の住むアムステルダムにやってきました。彼からドキュメンタリー映画を作ってほしいと依頼を受けました。彼はなかなかのセールスマンです。最初は音楽業界に焦点を絞った映画を作ることに抵抗がありました。ヒプノシス同様、私自身もこの業界の人間だったからです。ただ、ポーと話をして考えを変えました。彼が素晴らしい物語を持っていることに気づいたからです。結局、彼らのドキュメンタリーを作ることになりました。
Q:あなた自身はヒプノシスのデザインのファンでしたか?
コービン:ヒプノシスのデザイン自体はとても好きで、デザインの一つの到達点と考えていました。最初に目を引いたのはピンク・フロイドの「原子心母」のジャケットです。それとピーター・ガブリエルのファンだったので、彼が車の中にいるソロデビュー・アルバムのジャケットも印象に残りました。こうしたデザインは青春期の私には大きな意味がありました。
『ヒプノシス レコードジャケットの美学』(c)Cavalier Films Ltd
Q:あなた自身はロック・カルチャーのどういう点に影響を受けましたか?
コービン:私自身の人生は音楽と共に始まっていますし、ミュージシャンの視覚的な側面に興味があります。音楽に近づくために、私はまずはカメラを手にしました。そして、最初はファンとして舞台にいるミュージシャンを撮っていたのですが、そのうちポートレイトの写真家になりました。それを雑誌に載せてもらいたいと考えるようになりましたが、次の高い目標はレコードのアートワークを手がけることでした。そこで1960年代後半から熱心にレコード・ジャケットを見るようになり、ヒプノシスのデザインに出会ったわけです。