カズオ・イシグロからのアドバイス
Q:脚本化作業にはカズオ・イシグロさんも参加されていたそうですが、共同作業はいかがでしたか。
石川:何度もお会いしたわけではないのですが、プロットの段階で長めにお話をさせてもらいました。ロンドンにロケハンに行ったときにお会いしたのですが、一緒に食事させていただくだけのつもりが、結構がっつりした打合せになりましたね(笑)。
カズオさん自身、キャリアの初期では脚本を書かれていて、しかも本人は結構なシネフィル。我々がプロットを送ったタイミングは、彼が脚色を担当した『生きる LIVING』(22)が公開されていたこともあり、本人からは映画化への興味とコミットをすごく感じました。この作品の映画化は過去に何度か頓挫したこともあり、日本の今の世代の人間が映画化することに好感を持ってくださいました。そういう意味でも、エールを含めたいろんなアドバイスをいただけたと思います。
Q:石川さんの脚本では、当初はニキの話から映画が始まる構成となっていたところ、カズオ・イシグロさんから「長崎から始めた方が良い」というアドバイスがあったそうですね。
石川:映画版の構成ではニキを中心に据えることになったので、当然ニキから話が始まる。その脚本を持ってロンドンに行くと、「ロンドンパートから始めるのもわかるけど、イギリス人からすると若干退屈。やっぱり長崎を見たいんだよね」とカズオさんに言われました。最初のロンドンパートをがっつり落として、いきなり長崎から始めても大丈夫じゃないかと。それこそ編集室でやるような話をされたわけです。「確かにな…」と思いつつも、そうするとニキの話を中心に据えるところからブレる気もしていました。やはり、なぜ悦子が話し始めたのかということ、そしてニキのキャラクターや境遇みたいなものを最初に描くのは重要だなと。カズオさんのアドバイスは頭の隅に置きつつも、ニキから始まるという脚本の内容は変えなかったんです。
『遠い山なみの光』©2025 A Pale View of Hills Film Partners
その脚本に基づいて、撮影をして編集に入ったわけですが、編集している途中でカズオさんのアドバイスが突然頭の中に甦ってきた。「なるほど、確かに長崎から始めたらどうなるんだろうな」と。それで、ニキから始めていた編集を変えて長崎から始めてみたところ、イギリスのパートも自然と整理されて、とてもうまくいきました。カズオさんは最初からこれが見えていたのかと驚きました。これはもう原作者云々のレベルの話ではなく、撮影や編集を踏まえた上での映画的視点に基づいたアドバイスでしたね。
Q:キャラクターに関しても脚色されていて、悦子の夫・二郎(松下洸平)が傷痍軍人である設定は追加した部分だそうですね。
石川:原作の二郎は、家庭を顧みずひたすら働くサラリーマンといった感じでした。原作には書かれていないものの、年齢を鑑みると戦争に行っている可能性は高い。しかも、父親(三浦友和)は校長先生で地元の有力者だったにも関わらず、本人は教員になっていない。それは決して偶然ではなく、何か当て付けのような気持ちがあったのではないか、だからこそ仕事に邁進していったのではないか。そう考えていくと、この二郎というキャラクターはとても興味深いなと。二郎をしっかり描かないと悦子が立ってこない感じもあり、なぜ悦子は二郎から離れてロンドンに行ったのかというところに思いを馳せづらい。悦子を描くためには二郎の深掘りは必須でした。傷痍軍人というアイデアもその中から生まれたものです。