イギリスと長崎、共存関係にあった場所
Q:映画では戦後の長崎が描かれますが、街は活気に溢れていて、悲惨な出来事が起こった場所であることは直接的には描かれません。
石川:実際に長崎に行ってみると、すごくハイカラな街だなと。出島があってキリスト教が入ってきた歴史もあり、坂が多く、太陽も強くて海も綺麗、ポルトガルのリスボンのような港町特有の明るさを感じました。戦後の長崎は焼け野原という文脈の中で語られてきた部分が大きいですが、今回の舞台となった1952年は、終戦から7年が経ち復興が進んでいるタイミング。米軍基地があったため、ジャズ文化が入ってきてキャバレーなんかも作られて、その後「長崎は今日も雨だった」のような独特の音楽シーンも生まれてくる。戦後というよりも、その後の時代への序章のような感じだったのではないか、自分の中でそう思った部分がありました。
そういう意味では、多少脚色してでも明るくビビッドな長崎を描きたい。団地の襖のデザインにはウィリアム・モリスの柄が使われていて、時代的にはおかしくないのですが、それでもあんなハイカラな団地はないですよね(笑)。そう思いつつも、美術さんといろいろ話した上で、これはあくまでもロンドンにいる悦子が覚えている長崎、よって当時の長崎を再現することは今回の映画の目的ではないという判断に至りました。今の人たちにどう届けるかという意味合いもありつつ、今回はそういった長崎の作り方をさせてもらいました。
『遠い山なみの光』©2025 A Pale View of Hills Film Partners
Q:長崎が街を中心に広く撮っているのに対して、イギリスでの撮影は家が中心となっていて、その対比をより感じました。イギリス撮影で意識されたものはありましたか。
石川:イギリスの家の廊下の奥にある薄暗い景子の部屋は、長崎にあった薄暗くて縦に長い佐知子(二階堂ふみ)の家に通じるものがあるなと。イギリスの部屋の中と長崎の場所が共存関係になっていて、観客の無意識の中でその二つがリンクするような撮影や編集を意図的にやっていたと思います。長崎は広く撮りましたが、イギリスはあえて部屋を中心にしてミクロコスモスを作りました。そこはアンソニー・ホプキンスの『ファーザー』(20)を参考にしています。あの映画も家の中というミニマルなセットの中で、主人公が解釈している世界で壮大なミステリーが展開されていく。開かれていない場所であんなすごいことが出来るのかと。そう考えると、イギリスでは外ロケをして開いていく必要はないなと。家の中での撮影に集中しました。