自ら福島に赴いた前田旺志郎
Q:前田旺志郎さんと窪塚愛流さんは難しい役だったと思いますが、撮影前にお二人に伝えたことはありますか。
松井:前田旺志郎くんは脚本を読んで「福島に行ってみたい」と自ら言ってきました。当時彼は大学生だったのですが、クラスで福島の話をすることはないし、原発事故があったことを忘れている人すらいるかもしれないと。実際に彼は現地に赴き、まだ残っている瓦礫や封鎖された通りなどを見て、現地の人から色々な話を聞かされたようでした。自ら行動してそこまでやってしまうことに、「この子すごいな」と驚きましたね。
窪塚くんには多くは伝えていません。自分自身でまず調べて、その上で現場に入ってほしいとだけ話しました。とにかく自分の出来る範囲のことをやって、セリフ一つ一つに気持ちを込めて、自分の思う反原発の意識をそこに埋めてくれと伝えました。
『こんな事があった』©松井良彦/ Yoshihiko Matsui
Q:撮影は大ベテランの髙間賢治さんです。スタッフィングの経緯を教えてください。
松井:一緒に仕事をしたのは今回が初めてですが、出会ったのは金子修介監督の『1999年の夏休み』(88)の試写のときでした。金子監督は僕が日活で仕事をしていたときの先輩で、彼から髙間さんを紹介してもらったんです。そこで「いつか一緒に仕事をしましょう」と話し、その後ずっと年賀状のやりとりが続いていました。僕はいつも作品に合ったカメラマンにお願いしていて、今回は髙間さんのカメラワークや切り取り方が作品に合うと思い、お願いした次第です。
Q:カット割りやアングル、カメラワークなどはどのように決められたのでしょうか。
松井:僕はいつもカット割を自分で描くんです。撮影前にそれをカメラマンに見せて「これより良いアイデアがあったら出してくれ」と依頼します。髙間さんにも同じように話すと、「現場の芝居を見て判断したい」と。実際に撮影が始まると、髙間さんからも色々とアイデアが出てきたので、自分のカット割よりも面白そうなものは髙間さんのアイデアで撮っていきました。
ただ、数箇所のシーンは「必ずこう撮ってくれ」と強く依頼したシーンがありました。そのひとつは斎場に仕出しを届けた井浦新くんが、裏の調理場から告別式会場まで移動する長回しの場面。歩いている井浦くんをカメラが背中からずっと追っているのですが、告別式の受付のところでカメラが井浦くんから受付の人に“パン”したんです。それで「受付なんて風景の一つなんだから、井浦くんをフレームから外すことだけは勘弁してくれ」と言うと、髙間さんも「そりゃそうだな」と納得して、その後は一発で決めてくれました。そこはさすがでしたね。